男の子が心をひらく親、拒絶する親

 

著者 ウイリアム・ポラック

講談社

2002年3月

 

Real Boys

Rescuing Our Sons From The Myths of Boyhood

by William Pollack, PH.D.

 

 

 

訳者まえがき


序文


第一部 男の子の本当の姿

第一章 男らしさという仮面の奥で


  どんなときでも「平気だよ」といわねばならない
 
どうしたら仮面の奥を覗くことができるのか?
 
予測可能な情況には対策を
 
母親の勘を信じる
 
なぜ感情を表現しなくなるのか
 
矛盾するメッセージ
 
混乱し沈黙する少年たち
 
半分だけの自分で生きる
 
低下している男の子たちの学力
 
勉強は「クールじゃない」
 
教師こそジェンダーについて学ぶ必要がある
 
断絶から再結合へ――新しい男の子・女の子

第二章 恥意識と孤独がもたらす傷


 
母にすがって泣く五歳児を辱める必要があるのか?
 
砂場で学ぶ「男の掟」
 
七歳で三週間のキャンプへ
 
早すぎる親離れ――トラウマのはじまり
 
幼稚園児の男の子が女の子の遊びを好むのは正常
 
十歳でうつ症状
 
恥意識――感情が抑圧された結果
 
女の子は恥に敏感、男の子は恥に恐怖する
 
五歳のときの恐怖体験が蘇ってキャンプに行けない十六歳
 
子どもが荒れているとき――注意欠陥障害か、トラウマか?
 
七歳児の放火魔――離婚した父親は放火事件専門の捜査官
 
早すぎる親離れの弊害
 
赤ちゃんの感情表現を無意識のうちに抑圧する母親たち
 
男の子は怒ってもいいというメッセージ
 
「暴力を受けても沈黙せよ」
 
息子たちが心を取り戻すために親ができること



第三章 「男の子神話」の陰に隠された真実


 
「男性ホルモン=攻撃性=暴力性」ではない
 
育児がもたらす赤ちゃんの脳の配線



第四章 行動する愛――男の子の人間関係


 
男の子たちは愛したくてたまらない
 
男の子は行動で愛を示す
 
先生の結婚式のために団結した男の子たち
 
友情を求めている男の子たち
 
力ではなく愛を武器に行動する少年たち
 
教室で動物を飼うための資金づくりに働く少年たち
 
平和と平等のために行動する少年たち
 
からかわれさえしなければ女の子を人間として尊重する
 
鋳型にはめなければそれぞれ異なる道程で成長していく
 
溺れかかった友人を救ったケブン


第二部 心のつながりを勝ち取る少年たち

第五章 母親の力


  母親の愛は男の子を骨抜きにするのではなく強くする
 
母親と切り離すことで自立心は生まれない
 
FBI捜査官の父よりも彼を勇気づける母の思いやり
 
母親自身が乗り越えなければならない伝統的男像の壁
 
仲がよすぎる母親と息子に不安を感じる父親
 
母親の葛藤――「男の子を甘やかすな」と囁く世間の声
 
解放された母親が育てる解放された男の子
 
伝統的男らしさを求める学校との闘い
 
「男親がいなければ」という神話
 
どんなことでも話し合える関係
 
母親の健全な男性観が大切
 
母親自身の混乱を正すために
 
自分を知っている男
 
イタリアン・ママの証言
 
親の欲求や願望から子供を支配してはいけない
 
異なる愛情表現のスタイル
 
息子とのつながりを保ちつつ「男社会」と対処する方策を教えるためのヒント
 
母親の力



第六章 父親・大人の男の現実――共感し合う父と息子


  活発な父親との遊びによって感情のバランスを学ぶ
 
父親も母親に劣らず共感の資質をもっている
 
つながりを求め、勝ち取りつつある父親たち
 
父親の愛の効力は長つづきする
 
行動でコミュニケートできる父親
 
無言で背中をさすってくれた父
 
父親を知らない男性が父親になったとき
 
妻が夫を子供から遠ざけるとき
 
妻子を養う責任にとらわれすぎて不在になる父親
 
「男らしい」父親であらねばならない、という神話
 
仕事と家庭のバランスに苦戦する父親たち
 
増加する専業父親
 
子育てに積極的に参加する父親の三得
 
家族ともっと時間を過ごすために転職する父親たち
 
子どもを慈しみつづけよ
 
離婚した父親
 
母親と息子の関係を支援する
 
息子を能力で裁断せずに、ありのままの彼を認める
 
自分らしい父親のスタイルをつかむ
 
警察官役の父親になるな
 
説教よりも行動で示す
 
自分自身の父親の轍を踏むな
 
本物の男は感情を表に出す



第七章 思春期の試練――成長・変化・性


 
矛盾するメッセージ
 
矛盾メッセージが性問題に与える影響
 
親との対話がもてなくなったとき――ドラッグへの逃避
 
息子たちがかぶっている仮面に親が対応できなくなる
 
抗いがたい友人たちからの同調圧力
 親友の仲にひびを入れたもの
 
友人たちの圧力と闘う少年たち
 
自分が二人いる
 
タフな男を演じても、繊細な男を演じても、誰かから嫌われる
 
十代の少年たちがもっている大人に対する否定的イメージ
 
仕事だけが生きがいの孤独な男
 
自分像
 
心のつながりが少年たちを救う
 
僕のヒーローはお母さん
 
家族にできること



第八章 男の子たちの友情


 
「一匹狼」にはなりたくない
 
慰め支え合う仲
 
男らしさの鋳型とゲイ恐怖症
 
しのぎ合いのなかで連帯する男の子たち
 
友愛の表現
 
悩みを打ち明け励まし合う少年たち
 少年たちの友情を過小評価する研究者たち
 
男の子と女の子の友情
 
新しい世界――女の子との友情
 
恋愛


第九章   ホモセクシャルへの偏見を正す
  うちの息子はゲイなんじゃないだろうか?
 
息子がゲイだと打ち明けたとき


第十章 学校


 
学校関係者は男の子の問題を理解していない
 
欧米の学校で男の子の学力が低下している
 
男の子の自己肯定感は危うい
 
機能していないシステム
 
男の子の学び方
 
男子だけのクラス
 
それぞれの個性に合わせることも可能
 
注意欠陥障害と診断される子の九〇パーセントは男の子
 
個性なのか障害なのか


第十一章 スポーツの世界


 
「男の掟」を叩き込むのか癒すのか
 
スポーツを通じて育つ心
 
幼いうちからはじまる厳しい試練
 
コーチ次第で良くも悪くもなる
 
コーチをコーチする


第十二章 男の子のうつ病と自殺


 
統計の陰に潜む男の子のうつ病
 
見すごされる男の子のうつ病
 
男の子のうつ病を見分けるための十七の症状
 
死に急ぐ少年たち
 
自殺
 
少年たちを悲劇から救うために


第十三章 暴力――やるかやられるか


 
男の子の暴力性は心の断絶からはじまる
 
暴力にあふれた世界
 暴力に晒される男の子たち
 
イジメによる暴力の洗礼
 
活発な男の子と乱暴な男の子の違い
 
恥の意識が満タンになったときキレる
 
「暴力の遺伝子」など存在しない
 
愛されれば愛するようになる
 
親の行動を真似る
 
相手の立場に立って考えることを教える
 
安心できる場をつくる
 
イジメ対策
 
メディアが供給する暴力イメージ
 
攻撃的エネルギーをプラスに転換する


第十四章 離婚


 
息子の悲しみを理解する
 
母子家庭に口を開ける盲点
 
母親がしてはいけないこと
 
父親不在
 
再婚したとき
 
先入観を捨てて語り合うチャンスをつくる
 
「特別な時間」
 
率直に、しかし不安を煽らずに
 
子育てだけは協力し合って
 
友だちの善し悪し
 
離婚のトラウマを生き延びる


終章 「新しい男性像」に目覚めよ


 
心のつながりを保つ新しい男性像

訳者あとがき

 

 

著者略歴

マサチューセッツ州在住の臨床心理士。ハーバード大学医学部付属マクリーン病院の男性研究センターのディレクター。同大学精神医学部助教授。アメリカ心理協会・男性研究学会の発起人。

 



 

 

序文

 

今、 男の子たちが危ない。

表向きはうまくやっているかに見える少年たちも例外ではない。

 

最新のリサーチでは男の子の学力が急激に落ちており、自己尊重感も低く、うつ病と自殺の率がうなぎ上りに上昇していることを示している。

私も含めて、男の子の問題と関ってきた専門家は、驚くほど多くの少年たちが、親とも兄弟姉妹とも友人とも心のつながりを持てず、自分自身の感情もどこにあるのかわからないまま、孤独な子供時代、思春期を経て、そのまま大人になっていく事実に気づきはじめた。

私は少年たち、そして大人の男たちがまとっているタフでストイックな仮面の奥に、どんな感情が隠されているのか理解しようとしてきた。本書はそんな少年たちの声から学んだこと、そして彼らがより幸福な、自己実現した大人の男になっていくために何ができるのか、を考察したものである。

男の子とはいったい何なのか?女の子とどう違うのか?共通しているものは何か?学校で、遊びの場で、スポーツの世界で、私たちは男の子に何を期待すればいいのか?そして、彼らが離婚、うつ病、暴力などの困難な情況に直面したとき何が起こるのだろうか?

生身の少年たちの姿はさまざまな思い込みによって隠されている。あなたが親や先生として男の子と接しているならば、そんな思い込みのまちがいと限界に気づいているはずだ。にもかかわらず、こうした固定観念や偏見が少年たちの成長にも、親子の関係にも根深い影響を与え、少年たちの自己実現を妨げている。

 

本書は私の20年間にわたる男性研究から学んだことをまとめたものだが、多くの資料はハーバード大学医学部との共同リサーチ、「少年たちの声を聞く」の研究結果である。このリサーチでは何百人もの男の子たちをさまざまな情況で観察し、再考証し、子供たちの親とも話した。リサーチの目的は少年たちの家庭や学校や友人関係での日常的な体験を観察するだけではなく、彼らの内面の複雑な感情を読み取ることだった。

 

世間は少年たちを、男らしさの鋳型でがんじがらめに縛りつけている。知らず知らずのうちに、現代の彼らにはそぐわない過去のモデルで、少年たちの行動を決めつけ、批判しているのである。にもかかわらず、少年たちはこの古い鋳型にはまらなかったとき辱められる。鋳型を強制することによって、社会は少年たちの感情を抑制し、自由に考え行動する能力を限定して、変動しつづける世界に適応できないようにしてしまっている。

多くの男の子たちが早すぎる親離れを強いられ、年齢にそぐわないチャレンジに晒されている。五歳か六歳のうちから、学校やキャンプやさまざまな活動の中で独立心を見せることを期待され、思春期には新しい学校、運動競技、仕事、デート、旅行などの試練で再び肝試しされる。

少年たちの世界を広げることが悪いのではない。親はいつでもそれを目指すべきだ。問題はどのようにしてそれをするかである。充分な準備のないまま、心の支えもなしに、自分の気持ちを表現するチャンスも与えられず、そして後戻りすることも、進路を変える選択もないまま、突然、家庭の外にほうりだされたときに何が起こるのだろうか。とまどいや不平をもらすことは許されない。なぜなら世間の常識は、男の子が大人の男になるためには「感情を殺さなければならない」と言うからだ。わたしたちは女の子にはこのような「心の切断」を強いない。むしろ、男の子と同じように扱ったならば、彼女たちが深く傷つくことを知っている。

男の子は自分の脆さを恥じ、そのために感情を殺して、やがて本当の自分を失っていく。辛いときの支えになってくれるはずの家族にすら「男らしくしろ」、と突き放されたとき、少年たちはたった一人でどうしていいかわからず、心細くて怯えてしまう。ところが世の中は、男はそんな女々しい感情を持たないものだと言う。じゃあ持ってる自分はダメな男なんだ、と恥じる。しかしその恥辱感を語ってもいけないし、どんな言葉で語ればよいのかもわからない。これをくりかえしていくうちに彼らの感性は心の奥に沈潜し、自分自身の心との完全な断絶が起こる。こうして仮面をかぶりきってはじめて、世間は彼らを「男になった」と認めるのだ。

こうした伝統的な男らしさを叩き込む一方で、現代的な価値観に適応することも期待している。とくに人間関係においては、やさしく思いやりのある「新しい男」でもなければならない。少年たちが混乱するのも当然である。

 

本書を通して、わたしは家族や地域社会、そしてなによりも男の子たち自身に「男の子の真の姿」を理解してもらい、健全な社会の一員として成長していく手助けをしたいと望んでいる。第1部では少年たちの生の声を通して、これまでの先入観念をひとつひとつ検討する。第2部では少年たちが社会的な性差の鋳型から解放されて、情緒豊かで自信に満ちた、率直で思いやりのある青年に成長して、実社会の試練に立ち向かっていくにはどうしたらよいか探る。第3部では、より深刻な「男の掟」の弊害――うつ病や自殺や暴力について述べる。そして終章で従来の「男の掟」に代わる新しい形として、少年たちとの心のつながりをとりもどすモデルを提唱する。

 

 

 


訳者まえがき

 

「男の子の気持ちはわからなくて、育てにくいわ」

とため息をつくお母さんたちが多いですね。近ごろは「子どもを産むなら女の子がいい」と望む若いお母さんたちも増えているようです。

 

同じ人間なのに、どうしてそんなにわかりにくいのでしょう。

お母さんには異性の男の子のことがわからない、という理屈はいちおう納得がいきますが、じゃあ同性のお父さんはわかっているのかというと、そうでもなさそうです。

そもそも、そのお父さんからして、妻に「男の人というのはわからない」と嘆かせてしまう行動が多いのではないでしょうか。不機嫌な顔で帰宅した夫に「どうしたの」と問えば、返事もせずにムスっと部屋から出ていってしまったり、「会社で何かあったの」などといおうものなら、けんもほろろに「男の仕事に女が口出すな」ときます。(いまどきこういうセリフを吐く男性は減っていることとは思いますが)このていどならまだしも、せっかくつくった夕飯を「こんなもの食えるか!」なんて八つ当りして床に叩きつけてしまう怖い人もいますね。

こんなお父さんとそっくり同じことを、中学生、高校生の息子がしていませんか。あきらかに何か悲しいこと、つらいこと、不安なことがあったはずなのに、そうとはいわずに「不機嫌」と「怒り」で表現していることが――。

 

そうなんです。どうも男の人の感情表現は、とてもややこしいことになっているようです。学校や会社で不快なことがあったのなら「今日は嫌なことがあって機嫌が悪いんだ。お母さんのせいじゃないんだ」とひと言いってくれればいいのに、それができないのです。できない理由があるのです。じゃあ、その理由を説明してちょうだいと聞いても無駄です。なぜなら本人もよくわかっていないのですから。

どうしてこうなってしまうのでしょう。いったいいつからこうなってしまうのでしょうね。

「小学生の男の子でも同じことをするから、やっぱり男の子の性分なのよ」、「4歳くらいでも、近所の女の子と遊ばせると仲良くしたいくせに突っついたり髪を引っ張ったりして泣かしてしまう。男の子だからしょうがないわ」と思ってはいませんか。でも本当にそうなのでしょうか。

 

ここでちょっと4歳くらいの子どもを例に考えてみましよう。この年齢では男の子も女の子もあまり違いはありませんね。どちらもまだ身体は小さく、できないことや怖いものがたくさんあって、泣き虫で甘えん坊ですね。そんな息子に「男の子でしょ、泣かないの」といってしまったおぼえはありませんか。親ならだれでもつい口にしてしまうセリフです。親がいわなくてもおじいちゃんやおばあちゃんや、近所の友だちやその子たちの親や、保育園の先生にだっていわれるかもしれませんね。毎年4月に幼稚園や小学校に新入学する4歳、5歳、6歳くらいの男の子たちの中に、ちょっぴっり心細かったから泣いただけなのに、いま少しだけお母さんにそばにいてほしかっただけなのに、「男の子がそんなことでどうするの!」といわれてしまう子がたくさんいるのではないでしょうか。こんな風にいわれた男の子の心の中では何が起きるのでしょう。

 

「自分の気持ちを正直に表現すると辱められる」という大事件が起きているとは思いませんか?

 

学級崩壊、イジメ、不登校、引きこもり、凶悪化する青少年犯罪・・・子育て中の親御さんにとって心配の種はつきません。いったい何が原因でこんなに子どもたちが荒れているのでしょう。児童虐待、父親不在、母子密着、母性・父性喪失、教師の質の低下、管理主義的な学校、受験地獄、物質主義、メディアに氾濫する暴力イメージ、大人の社会への失望などなどと、専門家の意見もさまざまです。おそらくいろんな理由が複雑に絡み合っているのでしょうし、親も子どももひとりひとり違うものですから、問題の根もそれぞれ異なることでしょう。

しかし、ただひとつだけ、どんな問題にも共通するポイントがあります。それは子どもが正直に自分の気持ちを親、あるいは身近の大人に表現できるかどうかです。そしてそれに対して親の見栄や偏見をまじえずに、しっかりと受け止めて一緒に考えていけるかどうかです。何が問題であっても、自分の悩みに耳を傾けてくれる人がいるという安心感さえあれば、子どもはなんとか乗り越えていけるものです。

男の子の場合は、この一点だけでも大きなハンディを背負っているようです。「男の子でしょ」という、この一見、罪のないひと言には、悲しくても寂しくても痛くても、どんなに不安でも、それを口に出すのは恥ずかしいこと、というメッセージが含まれています。つまり自分の自然な感情を否定するように仕向けられていることになります。人間の感情というのは抑えつければ消えていくというものではありません。かならずどこかに沈潜して、もともとの感情とは違う形で出てきたり、忘れたころに舞い戻ってきたりします。

健康な身体になるために免疫力をつけるように、心もいろんな感情を親に支えられながら体験して、少しずつ丈夫に育っていくものだといいます。その自然の流れを断ち切ってしまえば、悲しいときに怒る、寂しいときにばか騒ぎする、不安なときに威張る、愛してほしいときに殴る・・・と、まったくわけのわからないことになってしまいます。仮に謎ときをしてみてわかったところで、とてもつきあいきれないでしょう。

 

実は男の子のことがよくわかっていないのは、お母さんたちだけじゃないのです。児童心理の専門家も教育者も、男の子のことは誤解しがちです。なぜなら、男の子は自分の気持ちを正直に表さないからです。いろんな心理テストをしても質問のしかたをよほど工夫しなければ、男の子の本心を知ることはできないといわれます。

本書で紹介されている例をひとつあげてみましょう。アメリカの社会学者が小学二年生の男女に「何か深刻な話をして」と聞いたのだそうです。すると女の子は事故や病気などの不幸に会った人たちについて語り、「かわいそう」というわけです。ところが男の子は部屋の中を走り回って冗談を言ったり、からかい合って話になりません。この観察から、女の子は生まれつき男の子よりも人間関係を築く能力に長けている、と結論したそうです。

しかし本書の著者ポラック氏は、「これはすでに社会化された男の子たちを観察して出された結論であり、男の子の生まれつきの特性と決めつけることには問題がある。男の子が成長過程で体験していることを考慮すれば、このやんちゃな少年たちの行動が、辱められることを恐れ、友だちから受入れてもらいたいばかりに、彼らなりのやり方で働きかけていることがわかるはずだ。彼らはすでに、おとなしく席について「深刻な話」をすれば男の掟に反することを知っているのである。子どもの行動に関する研究は、こうした視点から再検討されなければならない」と述べています。

 

自分の息子と生まれたときからつきあっているお母さんたちは、男の子のお母さんに甘えたい切ない気持ちや、家族や友だちを思いやるやさしさにあふれていることをよく知っているはずです。でも、一歩家庭の外へ出たら「泣き虫」、「ママっ子」といじめられてしまうから、心を鬼にして突き放さなければいけない、と思っていることでしょう。たしかにそうしたくなるほど、男の子の現実は厳しいものがあります。

20年以上男の子専門のセラピストとして、またハーバード大学男性研究センターのディレクターとしてこの分野の研究をしてきたポラック氏は、男の子を辱めることで鍛えようとする世間の常識を変えていかなければならないと同時に、それがとりあえずの現実だからこそ、家庭だけは彼らが安心してありのままの自分でいられる場でなければいけない、といいます。「外ではがまんしなけりゃならないときもある。でもお母さんとお父さんの前でだけは心を開いて、なんでも話してくれればいいのだよ」と教えることで、心の強い息子たちに育てることができるのだと。

 

しかし、不幸にもそんな暖かい家庭にめぐまれなかった子どもたちには、まわりのだれかが安心できる場を与えてあげるしかありません。悲しい、寂しい、痛い、不安、という人間ならばだれでももっている感情を、幼いころから抑えつけてきた男の子は、やがて自分が何を感じているのかさえわからなくなり、ムカつくという感情にすべてを托すようになるといわれます。そして、家族にも先生にも友人にも、心を開く相手がどこにもいなければ、満タンになった怒りが暴力という形でキレることになります。犯罪を犯す子どもはごく一部であっても、暴力にあふれた世界の被害者として最前線に立たされているのも、残念ながらわたしたちの息子です。少年法が改正され、14歳以上に刑事責任が問われることになりましたが、40歳でも17歳でも、10歳でも5歳でも、荒れる男の子は決してそんな生まれつきだったのではなく、自分の心を見失った子どもです。しかし、たとえ14歳でも他人を傷つけてしまったら、もう後戻りはできません。そうなる前になんとかするしかないのです。男の子が幼いうちから直面している「自分の感情を恥じて隠す」という悪習をなくしていけば、心を閉ざす男の子も減っていくでしょう。

 

何百人もの少年たちを調査対象とした、ハーバード大学医学部との共同リサーチ「少年たちの声を聞く」の結果と、ポラック氏の20年余の臨床体験をまとめた本書は、ニューヨーク・タイムスのベストセラーとなり、女性問題のエキスパートからも「男の子を育てているすべての親の必読書」と評価されています。

この本はすでに自分の感情を隠しはじめた「わかりにくい」男の子の行動の意味を解き明かし、むずかしい問題が起きたときに、親や学校の先生がどう対処していったら良いのか、実践的な方法を示唆するガイド・ブックです。しかしなによりも、この本に書かれている「男の子の真の姿」をあなたの息子に伝えて、彼らに生きる力を与えるための本です。アメリカの少年たちの生の声が、日本の少年たちの心に届くことを願っています。

 

 

 

 

 

訳者あとがき

 

「男の掟」は女性を差別するだけではなく、実は男性自身をも苦しめていることに気づいている人はたくさんいるでしょう。しかし、本書に述べられているような男の子を「男につくる」訓練が幼少のときからはじまったときのインパクトを理解している人は少ないのではないでしょうか。

著者のポラック氏は男の子たちが「感情を殺す」プロセスで自分を失っていく姿を描き、感情というのは決して殺すことはできないもの、消えたようにみえても心の奥に潜みつづけて、いつか時限爆弾のように爆発するものである、と力説します。そして、二年前に出版されたテレンス・リアル著の「男はプライドの生きものだから」には、感情を殺したつもりの男性たちが深刻なうつ病になっていくからくりが解説されていました。しかも、うつ病の男性の多くは、「男らしくない」と見なされるうつ症状を隠蔽するためにアルコール依存症や仕事中毒に陥ったり、支配欲に駆られたり、賭け事狂いしたり、愛する人に暴力をふるうようになっていくといいます。リアル氏が「隠されたうつ病」と名づけたこの病は、わたしたちが「男の性分」と決めつけがちな暴力性を理解する上で、重要なヒントを与えてくれるでしょう。

 

昨年の9月11日、世界貿易センターに最初の旅客機が激突したとき、わたしの義理の息子もその階にいたために犠牲になりました。その後、米英軍がタリバンを攻撃している最中に、アフガニスタンの男の子が「大きくなったら飛行機乗りになりたい」と無邪気に語っているのを、公共ラジオ放送で聞きましたが、幼い彼が見た飛行機は、自分の同胞に爆弾を落とすアメリカの飛行機だったかもしれません。そんなこととは知らずに、ただ空を飛びたいと思った彼の夢が叶うような世界であってほしいものです。

9月11日のマンハッタンの空は、からりと晴れた青空でした。あの日、旅客機を飛ばしていた人が、ふと空の美しさに見とれて、そのまま太西洋の彼方まで飛んでいってくれれば良かったのに、などと思いつづけています。

 

心を失ってしまう男の子たちをこれ以上増やさないために、暴力による紛争の解決を避ける勇気をもった男の子をひとりでも多く、世界に送り出すために、この本が役に立ってくれることを祈っています。

 

昨秋、本書の翻訳作業にとりかかったとたんに同時多発テロ事件が起き、しばらく中断せざるをえませんでした。辛抱強く待ってくださった講談社の丸木明博さん、フリーエディターの浮田泰幸さん、ありがとうございました。

 

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