子育て迷言集

   あっちもこっちも目次ばかりじゃないか、などという苦情も出ております(!)
それでまぁ、なんとか虚実とりまぜて.....あ、ここはホントの話のページでしたっけ。そのためになかなか書き進められないわけですね。

子育て情報に関心のある方が多いようですので、しばらくこのページを充実させることに、励んで見たいと思います。
 といっても、わたしは落第スレスレの母親でしたから、見本にするというよりは、「こうしなければ立派な子に育てられるのだな」という反面教師としてお使いいただくか、あるいは「こんな人でも子どもが犯罪者になったわけじゃないんだから、わたしにだって」という励ましに活用していただければ幸いです。

 わたしは母性というのは女性なら誰にでも生まれながらに具わっているもの、という神話を否定しております。これは、生んで育てて、しばら~く経ってから身についてくるものだと思っています。(自己弁護)
その証拠に、結果として無事に子育てを終えたわたしが、はじめのひと月ばかり、どのような母親であったか、話してみます。

わたしの娘は親に似て健康に生まれついたらしく、しょっぱなから四,五時間ぐっすりと眠ってくれる、親孝行な子でした。しかし、あんまり静かに寝ているものだから、わたしはつい、生んだことも忘れてひとりで買い物に出かけようとしたことがありました。
アパートの外まで出てから、どうも何か忘れ物をしているような気がしてしょうがない。財布かな、買い物リストかな、などと思案しながら一歩、また一歩と歩みを進めて行くうちに、思い出しました!

「あっ、わたし赤ちゃん生んだんだった!」

もう、そのあとは無我夢中で階段を駆け登り(エレベーターを使った方が早いという知恵すら浮かばなかった)ドアを蹴破るようにして部屋に入ると、娘は相変わらずスヤスヤと眠っておりました。
しかし、これに懲りて、ドアにデカデカと張り紙をしました。

「忘れるナ!!子どもが寝てる夢見てる!!」

おかげで以来、このような不祥事は二度と起きませんでした。ホントですよ。

 というわけで、こういう親の体験談を聞きたい人がいるとも思えないのですけど、この際、ここまで読んだ方で、つづきを読みたい人が何人いるかアンケートをとってみたいと思いますので、おそれいりますがゲストBBSに書き込んでいってください。



 
えー今のところ、もっとわたしの子育て体験を聞きたい、といってくれた人は3人しかいないのですが、3人もいた、ということは何か少し書かなければという気持ちを起させるのに十分であったりします。

 それで、ま、何か書いてみます。わたしがためらっているのは、こういう自分の子育て体験を書くと、「まぁ、お子さんはハーヴァード大学ですか、それともイェールとかスミス?」などと勘違いする人が世間には多いからです。

ここではっきり申し上げておきますが、うちの娘はそのいずれの大学にも行っておりません。ニューヨーク州の某私立大学に3年在籍したあと、別の州の州立大学に自分の意志で転校し、今はフルタイムで働きながら、政府の援助金と自分が稼いだお金で授業料を払い、アパート代を払い、車も買って元気に暮らしているだけです。

 うるさいくらいにしょっちゅう電話をかけてくるので、「電話代がもったいないじゃないの」などと親にあるまじき言葉をはいてしまいます。彼女にしてみれば、頼りないお母さんのことが心配でたまらないようです。ありがたいことだと思っています。

 というわけで、いったい何を基準に「子育てに成功した」と言えるのかをはっきりさせておかないと、親子共々、大恥をかくことになりかねません。基本的に、ここでは犯罪者にならなかったという最低の基準でいきたいと思いますのでよろしいでしょうか。
よろしくない方は、もっと立派な親のHPに飛んでください。



 ぼんやり、のんびりがトレード・マークのわたしに、どうしてこんな短気でエネルギーのかたまりみたいな子ができたのだろう?ふしぎ、ふしぎ。
ある時おもちゃで遊んでいた娘が、なにかうまくいかないことがあったらしくて、ギャーといいながらおもちゃに噛みついた。ちょうど「エクソシスト」という怖い映画を見たあとだったから、わたしは「もしや」とかんぐって戦慄してしまった。しかし、その後よく観察してみると、しょっちゅう癇癪をおこしてモノを投げたり叩いたりしていることがわかった。それで「まぁ、短気な性分なのだろう。そういえばうちの家系には短気な人が多いから、遺伝したんだ。そうだ、そうだ」と自分を慰めることにした。
 今ごろになっておくればせながら、この年頃の子はみんなこんなもの、と学んだのだけど。この時期の破壊的エネルギーを上手に発散させることが大切なのだともいう。(こういう大切なことを学べるHPがあるから、覗いてみるといい

http://gooside.com/oeda/teigen/index.html

無知だったから気を静めさせよう、との善意から大きな声でどなったりしてしまったこともあるけど、たいていはこっちがボンヤリしていて娘がなにをやっているのか気がつかなかった。それが幸いだったのかもしれない。

人気の秘密(四歳頃)


 娘が三歳のころ事情があって父親と離縁し(事情がなくてこんなことする人はいませんね)、今、住んでいる田舎町に引っ越してきた。
ニュー・フェイスなのに、なぜか娘はすぐ友だちをつくって、招待された誕生パーティに出席するだけで毎週末のスケジュールがうまってしまうくらいのモテぶり。やっぱり、わたしの娘ねぇ~と都合のいいところだけ遺伝子を分かち合ってしまう。でも、内心では
「なにかアル」という親の勘が働いていた。
 ちょうどそのころ、三人の子どもを育てている友人が、近所の子を集めて小さなデイ・ケアをはじめたので、娘も参加させることにした。昼下がりに迎えに行ってみると、娘よりもひとつ下くらいの子どもたちが、抱きついたり手を握ったりして娘と別れを惜しんでいる。「明日また来るのにおおげさだなぁ」と思いながら友人の顔を見ると、ニヤニヤ笑っている。そして「ミーちゃんのモテモテの理由がわかったワヨ」といった。
聞かない方がいいのじゃないか、という予感がしたのだけど好奇心が旺盛だから、つい
「おしえて、おしえて」と叫んでいた。
「今日、エィミーが買ってもらったばかりのバービー人形を持ってきたの。それをね、ミーちゃんがこうして遊ぶのよっていって、あっという間に服を脱がせ、こんどは頭も手足もバラバラにしちゃったのよ」
「...........」
やっぱり聞かなきゃ良かった。どうしよう・ヤクザの女ボス・・バラバラ死体・不吉な予感が脳裏をよぎる。そんなわたしの気持ちも知らずに友人は語りつづける。
「そして、それをまた見事な手際で元どおりにして、服も着せちゃったの。エィミーも他の子たちもポカ~ンと口をあけて、まるで神様でも見るような顔してたわよ。ハハハ」
「.........................」
笑っていいことなのだろうか。でも彼女は教師の資格も持っている人なのだから、ちゃんとわかって笑っているにちがいない。
「あの、いいのかしらそういうことさせといても......」
「あのね、ほかの子は親の監視がきびしくて、絶対バラバラになんかさせてもらえないのよ。だからもう~尊敬しちゃう~って感じなんじゃない。いいに決まってるじゃない。あんたのところは親がボンヤリだから、伸び伸び育っているってことよ」
親はボンヤリとくさされたけど、子どもは伸び伸びと褒められたのだから、これでいいのだろう、と納得する。

たまには親の都合も(4歳半頃)


 週末にとなりの州から知人が遊びに来て、夕食は町のレストランで、ということになった。大変だ、子連れで行ったら落ち着いて話なんかできやしない。あわててベビーシッターを探しまくったが、土曜日の夜はみんな先約がある。困り果てて、映画を見に行く予定だったという子育て仲間を拝み倒して子守りをしてもらう。
「もう~、こんどだけよ。そのかわり、来週ミーちゃんの特訓をしよう」と彼女が言う。
「えっ、なんの特訓?」
「レストランでいい子にする特訓よ」

 そんなものがあるのか。知らなかった。十歳くらいになるまでどうしようもないものだと思っていた。友人は、「たまには親の都合に合わせてもらわないと、不便じゃない」といって笑っている。
ともあれ、翌週の火曜日の5時、町のファミリー・レストランが混み合わない時間に、ソレをすることになった。男の子を二人育てている友人は、下の子にそろそろ同じ特訓をしようと思っていたのだという。
月曜日の夜、彼女から電話があって、ミーちゃんに「レストランでちゃんと席について食事ができなければ、家に帰るのよ」と、噛んで含めるように言い聞かせておきなさい、と指令が下る。
 翌日の夕刻、予定どおり、わたしとミーちゃん、友人と息子のマイクとダニーの5人がレストランの席について注文をした。とたんにミーちゃんとダニーはテーブルの下にもぐりこみ、ちゃんと坐っているマイクの脚を引っ張ったりしてケラケラと笑いはじめた。
わたしはここでいいところを見せねばならぬ、と張り切って、ドスの効いた声でミーちゃんを叱ろうとした。しかし、友人はわたしを手で制し、テーブルの下を覗きこみながら悪ガキどもと交渉しはじめた。

「ちゃんと坐って食事しなかったら、どうするんだっけ?」
「おうちかえるの――」とダニーとミーちゃんは楽しそうに合唱する。
「そうよね。じゃ、そこから出てらっしゃい」

ふたりともなぜか嬉しそうに這い出してきて席についた。やがてウエイトレスがサラダを運んできたので、しばらくみんな食べるのに忙しかった。が、食べ終わったとたんに、ダニーとミーちゃんはまたテーブルの下にはいってしまった。わたしはまた友人が交渉するのだとばっかり思っていたが、こんどは違った。

「ハイ、それまで!」

といいながらパっと席を立ち、ダニーを引っぱり出した。わたしもあわててミーちゃんをすくいあげる。友人は不服そうにしているマイクを急き立て、ダニーとミーちゃんの手を握って出口に向かって歩きながら、
「こっちは引き受けたから、注文した食事は持ちかえりにしてもらってね」とわたしに指令する。
どうするのかなぁ、お尻パンパンなんてするのかなぁ、と不安になりながら外に出てみると、みんな楽しそうにおしゃべりしている。彼女の家に立ち寄り、持ち帰りにしてもらった夕食を広げて気楽に会食することになった。食後、子どもたちが遊んでいるあいだにいろいろ教えてもらった。

「悪い事をしたってわけでもないんだから、叱ることはないのよ。家に帰るって約束だったから、そのとおりにするってだけ。どっちかっていうと、レストランに行くのなんて親の都合なんだから。でも、不便じゃないの、こんなこともできないようじゃ。三回くらい繰り返すとだいたい覚えるみたいよ。それでもだめなら、もう少し大きくなってからね」

 その後、わたしは5回くらいこれをくりかえして、なんとか落ちついて外食できるようになった。練習するだけのために友だちと連れ立って出かけたこともあるから、なんのためやらわからない、ともいえそうだ。しかしこの練習は、あらかじめ決めたルールを守らなければ、親は約束どおりのことをする言行一致の人である、と知らしめる役に立ったようだ。ほかの状況にも応用がきく。

迷子のお母様(六歳頃)


 こちらにはイトーヨーカ堂を平たくしたような一階建ての雑貨デパートがたくさんある。この町にも以前ジェイムスウエイという店があった。
ある日、娘を連れて買い物に行った。「お母さんのそばを離れちゃだめよ」といつものセリフを言った数分後に、もう娘の姿が消えていた。歩き回るだけで小一時間かかるくらいだだっ広い店である。どうしよう、困った、困ったと思いながら五分ほどあたりの見回したり名前を呼んだりしてみた。子ども連れの客が多いから、あちこちから「ママァ!、マミィ~」という声が聞えてきて、紛らわしいことこの上ない。諦めて場内アナウンスをお願いしようと決めたときだった。
「迷子のお母様、迷子のお母様・・ミーちゃんのお母様・ウフっ(これはアナウンス嬢がふきだして発した声)・・ミーちゃんがサービス・デスクでお待ちですので、至急、お越しください」
 アメリカに住んでいてアジア人であることが恨めしく感じるのはこういうときである。少数者だから非常に目立ってしまう。目立ちたくないときに目立ってしまうのはとても困る。民族を代表して悪事をした気分になる。
 サービス・デスクに行くと、ミーちゃんは案内嬢の隣りの椅子にすわってニコニコしている。案内嬢もニヤニヤしながら「ミーちゃんが迷子のお母さんって言わなきゃダメって言うものですから・・ウフッ」と言い訳した。
 もう買い物はやめてさっさと帰宅することにしたのだけれど、「お母さんのそばを離れちゃダメじゃない」という決り文句をくりかえしただけで、親に恥をかかせたことに対しては、どうしても怒る気になれなかった。それどころか、帰途の車の中で、親子でふきだしてしまってしまった。
 このときわたしは「この子はこういう機転の良さで生き延びていくにちがいない。もう、心配することないワ。大学も行かなくていいかな、楽だなぁ」などと思ってしまった。


  小学4年生のとき

娘が部屋に閉じこもって電話で長話ししている。
「宿題は済ませたの?」と部屋の外から声をかけると
「今やってるとこ」という返事。
ようやく部屋から出てきたところをつかまえて、なるべく詮索している声音にならないように気を使いながら「ずいぶん長いお話だったのね。誰だったの?」と聞いてみた。すると、ちょっとためらってから「あのね、算数の宿題の用紙をどこかに置き忘れちゃったの。だからメーガンに電話で問題を読み上げてもらって、それを書き写して・・・あ、答えは書き写さなかったよ。うそだと思ったらメーガンのママに聞いて。メーガンもまだ宿題やってなかったんだから」と言ってから、わたしに叱られることを覚悟したかのように上目づかいでこっちを見る。
「あらーー、偉かったじゃない。そういうしつこさっていいことなのよ」と私。
「ホントォ?」
「そうよ、こういうことを問題処理能力っていうのよ。大きくなって働きはじめたら、こういことができないと困るときってたくさんあるのよ」
「イェェイーー!」と娘は歓声を上げて、誉められたことを報告するためにまたメーガンに電話する。こんどは長話しせずに切って宿題にとりかかったけど。

わたしは内心では学校の先生がどういう反応をするのか気がかりだった。几帳面な先生なら用紙をなくしたことでゴタゴタいうだろうと思ったから、そうなったら学校にに乗り込んで行って演説してやるぞ、と腹を決めた。

翌日、学校から帰ってきた娘に首尾はどうだったか、と聞いた。幸い娘の先生はわたしと同じ考え方だったらしく、みんなの前で「電話で書き取るなんて、いいこと思いついたわねぇ。みんな、これからは用紙をなくしたから宿題できなかったなんて言い訳は通用しなくなったわよ」と言ってくれたそうだ。

その翌年、友人の息子がまったく同じ状況で、娘と同じように問題解決をしたのだが、彼の先生は厳しく叱責したという。そこで、わたしも先生と話し合いに行くという友人のために、娘の先生の対応を説明しておおいに励ましてやった。子供たちがみんな宿題用紙をなくしてもちっともかまわない、なんて思いはじめたらそれもまた問題だが、しぶとくトラブル・シューティング(問題処理)する姿勢ほど実社会に出てから大切なものはないのだから、その点も抑えて置いてもらわなくちゃ困る。
完璧主義の学校教育で飼い慣らされてきたわたし自身が、失敗するたびに問題処理の知恵も浮かばないほど心理的に動揺してしまう、という体験をしてきたから、娘にその轍は踏ませないぞ、と張り切ってしまった。しかし、こういう点に関しては、わたしの入れ知恵がなくても娘は天性の居直り根性が備わっているようでもある。今は大人になった彼女に、ときどき「ちょっとそれはーー」と牽制球を投げたりしてしまう。

 

 

 

 

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