カセイ人の役割

“家”という言葉は、日本人の語感では家父長制度の“家”をイメージしてしまうかもしれませんが、ここでは“home”の和訳として使っているだけですのであしからず。誤解を避けるために“カセイ人”と、カタカナで表記します。英語のhomeというのは、建物としてのhouseと違って、そこに人が住んでいるイメージ、つまり家庭のことです。そして、オズの魔法使いでドロシーが「There’s no place like home」というように、“いつもそこに帰って行きたくなるところ”というイメージもあります。実際に生まれ育った“home”でなくても、心が回帰するところ、という意味で使われることもあります。
そういう、人が生きていく上でとても大切なモノを、常に忘れないようにしている人を“カセイ人”と呼ぶことにします。
つまり、カセイをするということは、ただ単に“家事をする”ということではなく、家族の心身の健康を常に優先させてさまざまな選択をしていく、と解釈してほしいと思います。
そういう選択をした結果は、個々の家庭でさまざまな形を取ると思いますが、ここでは従来の固定的な男女の役割分担を見直そうとしているわけですから、もとは男だったカセイ人の役割について多くを語ることになるとなると思います。



カセイ人は高いところから地球の人々を見下ろし……あれっ、ヘンだなぁ、これは子どものときに書いたSFストーリーの書き出しじゃない。どうしてこんなところにまぎれこんでいるのかしら……。

カセイ人は弱きを助け、果敢に悪に立ち向かう……これもヘンだなぁ。鉄腕アトムみたいじゃなぁ〜い。

いまだに「男子厨房に入らず」などと頑張っている男性も多いことでしょうから、ちょっとゲキを飛ばしてしまいました。カセイ人の男はカッコイイものなのだ、ということをまず言っておきたかっただけでした。

 ここで少し、誤解されやすい部分を解説しておきたいと思いますが、いやしくもカセイ人を名乗る以上は、家ではマメに女房を“助けている”という意識では困ります。
 わたしは長くアメリカに住んでいますので、よく「アメリカ人の男の人って、食後にお皿洗ってくれるんでしょう〜いいわねぇ〜」と日本人から言われます。こんなことだけマネればカセイ人になれるわけではありません。(しないよりはいいけど)これはどちらかというと、夫婦の間の“前戯”に属する事で、したい人はすればいい。カセイというのはもっともっと奥の深いものです。とくに子育てや親との同居生活などが絡んでくると、家族全員が健全なコミュニケーションの能力を磨いて行かなければ解決のつかない問題がおきてきます。仮に夫婦の中で男性の方により多くカセイ人的資質があるのなら、「こんな大事な仕事を君だけにはまかせておけない!君も外に働きに行きなさい」と断言して主体的にカセイに参加するような“意識の高さ”をもって欲しいものです。


といっても、専業カセイ人になる必要はありません。まず、仕事人であることだけが自分の人間としての価値である、という強迫観念から解放されることです。何のための仕事だったのか、と自問すれば自ずと答えが出てくるはずです。
こんなことをいうと「なーんだ、そうだったのか」と早とちりして仕事をあっさりやめてしまうあわても者もいるかもしれませんので、もう少し解説します。人と人とのつながりを原点に帰って考えてみると、一番自然なのは、幼稚園児がふたりで仲良く遊んでいる、というような光景じゃないでしょうか。遊んでいるうちにおなかがすいたから、ふたりで食べ物を探しにいく、どちらかが膝をすりむいたら慰めたり、手当てをしてあげたりする、という感じですね。
食べ物を調達してくれるから遊んであげる、という子や、遊んでもらうために、あらかじめエサを用意しておくような子、は「ヒネクレタ子」と呼ばれます。しかし現実にはこういう子がたくさんいますね。わたしもその一人だったかもしれません。
どうもわたしたちは、かなり幼いときから、何かタメになることをしなければ遊んでもらえない――愛されない――という刷り込みをされているようです。これがまちがいのモトです。こういう勘違いを改めれば、誰でも“一緒に遊んでいて楽しい人”になれるはずなのです。そして遊びの延長として家事も子育ても外の仕事もする、というウソみたいな状況すら生み出すことができるかもしれないのです。

伝統的な男女の役割分担――男は外で働き女は家を守るという形をとっていても、お互いが上手に遊んでいられるうちは、それでいいのです。しかし「誰に食わせてもらっているんだ」というセリフが一度でも出てしまったら、もう、楽しい遊びではなくなったということですから、別の遊びに切り換えなければなりません。
今の社会では男も女も同等の教育を受け、視野が広まっているのですから、家庭の中だけで一生を過ごしたいと望む女性は少なくなる一方です。かっては妻子を扶養するのが夫の愛情であったかもしれませんが、今は、仕事をつづけたいと望む妻を支援することも,夫としての愛情表現になるでしょう。

ということで、その支援をするために必要となるワザなどを、これから考えていくことにしましょう。






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