[630] What?
00/07/07(金) 13:58
Dolphin
Can read? BBS too?
MY Web page?Why? I can't understand. But cannt you write Japaneas?Weekend? Oh
it's grade!!You will comeback soon.It's grate!!
[629] 00/07/07(金) 13:22 My
I'm here!!But,still
having problem with reading and writing here in Japanese.I can read E-mails
written in Japanese and guess what,I can read IRUKA-san's HP and BBS!! Why is
that?Anyway,over the weekend, my friend is going to help me
installWindow-Japanese version. I'm glad you've been having a good time while I
was gone(26 posts!)IRUKA-SAN,Thank you for trying to write in English.
[628] Hi ,Marie
00/07/07(金) 11:00
Dolphin
I try to write
English. But may be many error.July 4TH holidays? oh my God! It's so late.I'm
lonly.(ToT)But I will waite.
http://www.sitesakamoto.com/
[627] Hi,It's me
again 00/07/07(金) 03:42 My
I finally had my
computer fixed but need to program "Japanese" software now....It took
longer than I expected to have my computer backfrom the repair shop because of
July 4th holidays!!I'll be back soon.My
[626] 坂本竜一
00/07/07(金) 01:32 いるか
こんなんの、見つけたが英語がよくわからん・・・・なんやら、最貧国の子供達を助ける為に、国の債務を帳消しにしてくれと各国の首脳にみんなでメールを出そうという、ネット署名運動らしい。このサイトの右下のjubilee2000ってとこに、英語で趣旨説明がある。だれか、英語訳してくれ~~(TT)http://www.sitesakamoto.com/
http://www.sitesakamoto.com/
[625] たなばた
00/07/07(金) 00:31 manna
自分に優しくするってことがわかりますように。そうしたら、人にも優しくなれるでしょう?優しく、強く、明るくなりたいです。
[624] 七夕前の話
00/07/06(木) 23:58 みん
僕も「自我」ということについてはとっても興味があります。だからいるかさんの話はとっても楽しみです。今現在、いるかさんの言葉にとっても刺激されているので一言以上・・・アメーバという生き物に自我があるとすれば、それは光が当たると色が変わるという生き物にも自我があるというコトになります。きっとそれはその生物の体の細胞の含まれるなにかが、光によって化学反応を起こした結果なのだろうと思います。その化学反応がその生物の自我となる?さらに一個体の生命の中で細胞1つ1つがおなじ目的のために協力しあっているような状況は、それぞれの細胞の自我なのでしょうか?それと、遺伝子の塩基という単位でみたときにはどうなるのだろう・・ときりなく不思議な点が出てきます。そう考えると自我って、自分が存在しているという意識を持っているコトが必要ではないかと思います。それか、化学反応と云う現象が「世界の意識」だとしてしまうと宗教的、神秘的な展開に・・・(いるかさんの自我話が始まる前にいろいろと云いたいことを云ってしまってますけど)僕が勝手に自我について説明をする論文を書いたとすれば、論文のタイトルは『存在の肯定』でサブタイトルは「同化すること」となります。その二つのKEYワードが「自我」をほぼ物語っていると考えています。(本当に勝手に)七夕の短冊憎悪、憎しみが、僕やみんなからなくなりますように*
http://page.freett.com/eee0/index.htm
[623] Re:自我???
00/07/06(木) 23:43 manna
>だから、なんていうのかなぁ「自我」っていうのは、多分動物にもある(アメーバーさえも)「自発性」なのではないだろうか?と思っています。mannaは、無意識にしろ、自発的に愛される期待を持って努力してたと思うのですが。それは強制(無意識の脅迫)でも、mannaの自発性なの? 確かに、過剰では会ったけれど、適応しようとしてました。)その環境で生きぬく知恵とでもいいましょうか。うん。ACでは、サバイバーっていわれるのと、同じようなものですか? 生きぬくって言うのなんだか、頭のなかがまとまらないんですけど。>ただし人間の場合言葉(文書も含む)という通信手段を持っているため、動物とは比較にならないほどの「疑似体験」が可能だと言う事です。すなわちまったく知らない世界を知ることが出来るのです。例えばテレビのない所に住んでいて、テレビと言う物があるということすら知らされていなければ「テレビが欲しい」という欲求が起こる事はほとんどないと思うのです。(これは発明とのかかわりで断定は出来ません)すなわち自我の自発性というのは情報量ともとても密接に関係してると思っています。えと、これはなんとなくわかるような気がします。家族と言うものにしか心が向いてなかったから、まわりの人々が、子どもたちが、世界が見えなかった。物質としては会ったんだろうけど、吹きすぎる風と同じくらいの意味しかなかった。今は違うのですが。
[622] 自我については
00/07/06(木) 10:10 いるか
自我については、物理の話の途上で、もっとつっこんで私の考えを披露したいと思っていましたので、ご期待ください。これは・・・・深い・・・・・
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[621] 自我は
00/07/06(木) 08:55 いるか
自我はとても難しいところがあります。何故なら自分以外の自我は外見の行動から推測する以外に確認の方法がないからです。自我と自我意識も変えて考えなければならないかも知れません。ですから私は共通語としてフロイドの自我構造を使用しているにすぎないのです。だから、なんていうのかなぁ「自我」っていうのは、多分動物にもある(アメーバーさえも)「自発性」なのではないだろうか?と思っています。ですから勿論その「自発性」は環境に左右される、言い直すと環境を認識して環境に適応しようとする物だと思いますので、当然他者の影響は免れないでしょう。言ってみればその環境で生きぬく知恵とでもいいましょうか。ただし人間の場合言葉(文書も含む)という通信手段を持っているため、動物とは比較にならないほどの「疑似体験」が可能だと言う事です。すなわちまったく知らない世界を知ることが出来るのです。例えばテレビのない所に住んでいて、テレビと言う物があるということすら知らされていなければ「テレビが欲しい」という欲求が起こる事はほとんどないと思うのです。(これは発明とのかかわりで断定は出来ません)すなわち自我の自発性というのは情報量ともとても密接に関係してると思っています。
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[620] いるかさん了解了解
00/07/05(水) 23:49 あまねの父
だいたいわかりました。私のいい方も悪かったです。(^_^;)これはピアジェ等にもいえることなのですが、「子どもはこうだ」と決め付ける理論があまりにも多い。それに疑問を投げかける例は沢山あるのに・・・勝手に自己崩壊して行くのは子どもよりも大人のほうが多いかもね。ちなみに私が子どもと言う場合は小学生以下を一般に指すと思っていただきたい。もちろん一部の中学生も入るかもしれませんが、中高生を子どもと捉えた時点でなにも見えなくなると言うか間違った捉え方をしてしますことが多いと私は考えています。話がそれましたが自我の形成は他者の干渉なしにはありえないということはどう思いますか?私はありえないまでは行かなくともあったほうが豊かになると思うのですが・・・。(もちろん形成を妨げたりする過干渉は別として)
[619] 「周」とかいてあまね
00/07/05(水) 23:37 あまねの父
みなさんこんばんは。MYさんPCまだだめなのかしら?早期復旧を願います。みんさんありがとうございます。そう。その通り。私もあまねの母も娘と共に生きています。もう一人だけの人生ではないと強く感じています。「あまね」家の娘の名前です「周」と書きます。「普く」からとってつけた名前で周りから何かしてもらうのではなく周りに何か出来る人間になって欲しいと思ってつけた名前でした。ちなみに娘の戒名は「普照嬰女」といいます。偶然にも私たちの思いと同じ戒名でした。「縁」というものの不思議さを強く感じさせてくれました。保育の基本も「子どもと共に」私も周と共にそして皆さんと共に生きていきます。ありがとうございました。
http://www.rimnesia.net/home/amane
[618] やさしさは
00/07/05(水) 10:33 いるか
やさしさは動物からも虫からもお花からも空からも夜空に輝く星からも受け取る事が出来ます。そしてなによりネットでのやさしい人との出会いは心を洗われます。これからの世の中もしかしたらネットが引っ張っていくかも知れないそんな気がしています。(ネット中毒の男)(;^_^A親以外からやさしさを素直に受け入れられる様になるととても心が落ち着くのですが、言葉で言うほど簡単な事ではないようです。親子のきずなは論理をはるかに超えている、それが私の実感です。七夕さまにお願いを「人類が恐怖から一日も早く解放されますように」
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[617] オシロイバナ
00/07/05(水) 00:49 manna
群生しているのが、咲き始めました。ざくろが咲き、オシロイバナが咲き、梅雨が明けます。まだまだ、西洋スミレは咲くでしょう。夏が来ると、じいちゃんの家の(といっても、昔の家。今の家は、家事に合って新築したときに庭は様が割してしまったので)野苺を思い出す。あったなぁ。。。どんな味だっけ?
[616] 実例?
00/07/04(火) 23:08 manna
恐怖心が強すぎて放棄してしまう(すべてを夫の言いなりになることで責任放棄している、もしくは自分は精一杯やったのになんで責められるの?)母親は、うちの母です。恐怖や不安から無関心になったのは、今子育て中の妹。完璧に無視してるのは、かつて飲めたときはアルコール依存してた父。なぁんてわかりやすいのかなつまり、罪悪感を捨てられなくて、愛情のかけらを見たくて、責任過重でも気づかないで、そのために大切な記憶を削ったのは自分。最近見つけた、アルバムの中のメモによると<そもそも、そんなものをアルバムに要れて取っておく親の神経は不明なのですが、「なんでもそつなくこなすけれど、人の目を見て話を聞いたし、話したりしない」子どもだったそうです。うつむいて、手をいじっているばかりだったとか。成績は抜群に良かったとは(知識として)知っているけれど、協調性にはかけていたらしい。養護学校への転校というはなしもあったくらいだからね。mannaって、実例なのかも(TT)
[615] 00/07/04(火)
21:33 みん
放送大学 7/422:30 動物の行動と社会(00)
第13回 家族とそのジレンマ
担当講師:中嶋 康裕(宮城大学教授)録画して時間のあるときに見ます。
http://page.freett.com/eee0/index.htm
[614] 補足
00/07/04(火) 11:01 いるか
すなわち「子供が勝手に自己崩壊していく例」というのは充分な潜在意識てきな理解がなされていないと、母親の「私をいい人にして!」という受動的攻撃にはまってしまっている可能性が大きいのではないかと思っているという事です。勿論だからといって、母親の演技をあばけ!と言ってる訳ではありません。母親も苦しいのですから、ケースによって異なりますが充分その点を考慮にいれてください、一方的に「子供が勝手に・・・」というのはどうかなぁ?という意味です。
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[613] ふたたびつづき
00/07/04(火) 10:47 いるか
この「恐怖心が強過ぎ」て責任を放棄してしまう母親についてMYさんは心を痛めているのだと思います。「恐怖心が強過ぎる」人達は主に「受動的攻撃」を使います。これは充分な理解がないと、見過ごしやすい攻撃です。例えば、MYさんが例にした母子の関係を私なりに解説してみましょう。このお母さんはとても怖がりなので誰からも「いい人」と思われている実感がないと病気になってしまうのでしょう(かくされたうつ病)その為、彼女は「いい人」と他者から判定されるであろうあらゆる振る舞いをします。しかしこの振る舞いは子供にはとても負担になるのが普通でしょう。「母親をいい人にしたててあげなければ、母親は崩壊する」という事を知らされた子供は「母親を崩壊させない為に自我を犠牲」にしなければならなくなってしまうからです。しかし思春期になると自立する為には抑えてきた「自我」をどうしても出す必要にせまられてくるのです。しかし母親を崩壊させたくない、この葛藤は外見で見ているより数段「深刻」なんだと思います。かの母親は娘が恋人に自分の事を「悪く言ってるのではないか?」という不安が生じてしまうのです。ですから彼女は娘の恋人にあって「自分がどんなにいい母親なのか?」という事をアピールし、恋人から娘に「いいお母さんじゃないか」といわせようとしてしまうのでしょう。このへんのテクニックには多分多大な自信があったと思われます。だから娘はそんな事態を充分予測できている為に「どんな事をしても」恋人と母親を会わせたくなかったのです。でも娘さんの母親に対する愛情はあるので、母親が我慢出きればいずれは会わせるつもりはあったと推測しています。このような現象は先祖から引き継がれた「恐怖心」が最大の原因だと私は結論を出しているのです。ですから、恐怖心をできるだけやわらげる事が最も期待される対処方法であろうと考えています。
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[612] つづき
00/07/04(火) 10:28 いるか
この「罪責感」が現在の人間を苦しめる非常に大きな部分を占めていると思っています。ある種の母親はこの「罪責感」(他人に「おまえのせいだ」と言われることをおそれる)が強過ぎると、合理化反応が働いて「私は関係ない」と自己暗示をかけたしまう場合があるのです。これは子供にとってとても大きな負担になります。かといって、親が「悪い」わけではありません。親の罪責感にたいする恐怖心が大き過ぎる、いいなおすならば「恐怖心を解消出来るような育てられ方をしてこなかった」という事なのです。いいなおすならば、直接の原因は親にあるのですが、もっとつきつめると、先祖にまでさかのぼってしまうのです。ですから、表面的にみると「親に関係なく自己崩壊してしまう」子供はいるかもしれませんが、それはあくまでも「表面的」なことで親に「原因」ないわけではありません。勿論これはあくまでも私の見解です。
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[611] 私の考え方
00/07/04(火) 10:19 いるか
MYさんのコンピュータがなかなか復活しないようなので、だいぶ前のあまねのお父さんの御質問に私なりの考え方でお答えしたいと思います。確か、子供の問題に親が責任があるかどうかという問題でしたよね?親に限らず「子を育てた者」の影響を受けずに子が育つことはありえないと思います。例えば「狼に育てられた子供」の研究も発表されていますが、性格はかなり「狼」になっていますね。子育てをすると実感するのですが子は間違えなく「育てている者」をモデリングします。かといって個性がないわけではありません。あくまでもモデリングであって、すっかりまねをするという意味ではなく。親をモデルにしながら、自分なりに「そしゃく」していくのです。ですから親の影響はどう頑張っても避けられないことですね。これが私のいう「親に原因がある」という意味です。「責任」となると又話が変わってきます。現在よく使われる「責任」という言葉はほとんどの場合「罪責」であろうと観察しています。「責任」と「罪責」の違いは責任は自らの中から生じて自らの判断でなされるものに対して「罪責」は他人が相手を「操縦」する為に(自分の意志に従わせようという目的)使われるものだと思っています。つづく
http://www.m-net.ne.jp/~ooeda
[610] それを魂と名付ければ
00/07/04(火) 01:30 みん
あまねの父さんへ「お嬢さんの魂」・・・本を読むと、死んだ後も魂があるんだという話があちこちででてきます。大江健三郎さんの魂の音色の話や、柳田邦男さんの息子の魂の話や、ホスピスで妻を失ったけれども確かに、妻の存在を近くに感じるという話、etc..それを単純に魂というのがふさわしいかどうかはわかりませんが、この場で仮にそういったものにたいして「魂」という名前をつければ、「あまねの父の娘の魂」が、あまねの父さんのなかにあると感じました。娘さんの魂がたしかに、あまねの父さんのなかにあって、それがmannaさんにもなんだかの影響を与えている・・・この世界に物理的には生きてはいなくとも、あまねの父さんのなかに娘さんが魂として生き続け、今のあまねの父さんに大きな影響を与え続けて切り離せない存在であり、そして更に周りの人たちにも、なにかの働きかけをしているのだなぁと感させられました。ぼくもあまねの父の娘さんの魂の影響を受けている人間の1人です。魂は生き続ける。そんなことを、ここに書かれたあまねの父さんやmannaさんの言葉を通して身近に感じました。そしてそれは、生きている人たちによって、その魂はいつまでも生き続けることができるのかなぁと思います。
[609] ねむねむ(^^;;; 00/07/03(月)
23:08 manna
ちょっと腹がたって、意見したところが、「落ち着いて」なんて言われてあ、またやっちゃったのかな? の、mannaです。落ち着いてたんですけどね。怒るのと、落ち着いてないのはイコールじゃないと思うのです。かくかくしかじかでって、論理的に意見しても、声を少しでも荒げるとです。それを、じゃあ落ち着いて(?)教えてくれるかと思いきや、「しかたないんだ」って畳み込まれるのです。上司だから、mannaが長期に仕事を休んだのを知ってるそのために、「落ち着いて」という言葉が出るんだろうと理解できるのですが、意見を聞いてないのわかるの。ん~~~っ 完璧にわからないんだって、わかった事が収穫といえば収穫なのですが(^^:::あ、頭が疲れて、眠いのも収穫かも?
[605] ありがとうです。
00/07/03(月) 07:07 manna
みんさんのカキコ、そんなむつかしくないと思うよ。mannaが気合入れて読まないから、むつかしいように感じちゃうんですよ。ゆっくり読めば、だいじょうぶです。あまねの父さま、みたいな親を持った子どもは幸せですね。でも、ここまで行き抜いて来たんだから、って思います。mannaにもできることがあるのかもです。
[604] 涙で洗われた眼は清らかで深い
00/07/03(月) 00:39 あまねの父
こんばんは。mannnaさん。私もね娘が病気と闘っているとき、娘がかわいそうなのと苦しみを代わってあげられない自分が許せなくて泣きました。娘が亡くなった時も、そして今も涙がでます。時には声をあげて泣きます。でもね、mannnaさんの涙も私の涙もきっと同じだと思うの。きっと少しずつだけど心が前にすすんで行く印だと思う。良い涙だとおもいます。泣けるということはそれだけ素晴らしい感情がどこかにあるということだから安心して泣こう♪私も娘が亡くなった瞬間から時間だけはとまったまんまです。でも心だけは前にすすんでいます。「時間と心」別れるなんて思っても見なかった。いつか時間が追いつくのか、どうなるのかわからないんだけど、とにかく自分らしくしっかりと前を見据えていそがず自分のペースで歩こうと思っています。mannnaさん。ゆっくりのんびりmannnaさんらしく歩いて行きましょう。時には立ち止まったり、時には後戻りしても良いじゃない。ね♪さあ、明日からまたそれなりに頑張ろうっと。あくまでも自分の出来ることだけを確実にやるんだ。それ以上のことは出来ないから。mannaさん。素適な涙流しましたね。私も一緒にこれを書きながら涙が出てきました。ありがとう。
http://www.rimnesia.net/home/amane
[603] ベクトル
00/07/03(月) 00:00 みん
mannaさんへ>mannaは、どうしていいかわからないです。悪い感じじゃなくて、湯船に浮かんだら思った以上に疲れが体から流れだして涙ぐんでしまうあえて、そんな感じなのです。
僕の話はとっても重くて疲れるね。そしてどうしても、共有することが難しいコトがある気がします。けれども、それにたいして、「私はこう感じたよー」っていうコトをお互いに伝え合うことは、ないよりもあった方が良い気がします。それを放棄したら、価値観が違うから、考え方が違うからダメだと決めたら・・その先には何も無いからー。人のコトが100%わかることは無いです。きっと。・・・でも近ずくことは、大変でも同じ向きを向いて橋を架けあおうとすることはできると思います。その向きの指標は・・・・
[[602] ごめんなさい。
00/07/02(日) 23:29 manna
どうしていいのかよくわかりません。みんさん、わかるんだけど、ことばになりません、あまねの父さま、泣いちゃったよぉそれで、レスになりますか?mannaは、どうしていいかわからないです。悪い感じじゃなくて、湯船に浮かんだら思った以上に疲れが体から流れだして涙ぐんでしまうあえて、そんな感じなのです。
#584~#601 6/29~7/2/2000
[601] 長い旅の途上から
00/07/02(日) 22:19 みん
>愛って、いろんな意味があるのかもしれない。でも、自分を愛せないと、誰も愛せない気もする。そうですね。自分が満たされて溢れ出るほどの愛で、人のことも満たしてあげられるのだろうと思います。自分の満たされる程のものって、それを知ったり気づいたり感じたりすることなんだろうなぁと思います。自分の存在する意味を語ることが可能な物語を見つけることでしょうか・・・Myさんは、この世界にちょこっとだけやってきて・・・と感じて、いるかさんは難しいことは神様に任せて・・・僕は大きな流れの途上であり、その流れの中のひとつであるという感覚・・・そんな、それぞれの人が、それぞれの感覚でもっている自己の肯定感によって心の器を満たしているーそしてその器のもっとも深い部分を本当に満たせるのは、愛、すなわち「肯定」しかない気がします。そうでないモノで器の表面を満たしてもすぐにまた乾いてしまう・・・その愛を得るまでの過程にはいろいろあるのではないかと思います。それこそ神のみぞ知るひとそれぞれの無限の可能性です。そこには人がなにが良くてなにが悪いなんて道はないきがします。mannaさんも、みんなも、そんな可能性の1つの道を歩いているんだと思います。他者が決して決めつけることのできない可能性という必然性のなかで・・・長い旅の途上、というアラスカ写真家、星野道夫さんの本があります。愛を得たとしてもそれはきっと人生の目的とは違うと思います。その中にいるというのは目的を達成して終わったのではなく、、その愛によって自分自身の表現(自分自身の肯定)をしていくことが、常に「旅の途上」なのではないでしょうか・・・
http://page.freett.com/eee0/index.htm
[600] mannnaさん素適だ。
00/07/02(日) 00:03 あまねの父
あまねの父です。mannnaさん素適だと私は思いますよ。良い言葉が見つからないのですけど、自分自身と周りのものを見ることが出来ています。それだけでもとっても素適なことだと思うの。「愛」使いやすくて使いづらい言葉。自分にも、それ以外にもあったりなかったりします。ゆっくりと探しましょうよ♪mannnaさんのmannnaさんらしい「愛」人それぞれ違って良いと思うんです。時には動揺することもあるでしょう。でも大丈夫。かならずmannnaさんらしい花がいつか必ず咲くでしょう。そのときまでもう少し、いろんなことがあるかもしれません。少なくともここにいる皆は距離はあるけど心はいつも近くにあるそう思います。たいしたことはいえませんが、これからもよろしくね。 あまねの父
http://www.rimnesia.net/home/amane
[599] 流れの中から2
00/07/01(土) 23:55 みん
いるかさん愛を僕がもっているのか?と云われれば、もっていません。でもそれは僕の存在とは関係なく、僕が生まれる前からあったものだと思います。重力がニュートンが発見をする前からあったのと同様に・・・愛という状態を自分の中で完全にもっているときには、たぶん愛という事をいちいち意識しなくても呼吸をするような形でそれを表現できるのだと思います。現在の僕は「愛」から離れない様に、「愛」の方向つねに向いていられる事を意識したり、それからはずれてしまったときは反省したりする状況です。「愛」という言葉は、誰が使っても良いと思います。ただそれを知っているという事と、愛について本当に考えたり感じたりしたことがあるのかどうかという条件があるのではないでしょうか・・・自分の愛は、「愛」であると単純に思いこんでいる場合は、愛というものが根元的なモノであるがために、想い違いはよけい危険なことです。愛は肯定であり、どんな虚像の上には築くことのできないものです。虚像の愛が偽善、欺瞞と云われています。一応・・・断定的にそう云っておきます。いまのところ、この話が矛盾無く全てがしっくりくるモノです。周りの世界を直視したときに浮かび上がってくる事実です。僕が作り出したモノではなくて、元来あるものを僕があえて口にしているだけです。実は当たり前すぎてみんないちいち云わない事なのかも・・・。そうゆうモノが実在するからこそ、みんな同じモノを感じたり発見したりするのだと思います。いるかさんも同様に。それは大きな流れー
http://page.freett.com/eee0/index.htm
[598] 動揺。
00/07/01(土) 22:36 manna
土日はお休み。土曜日は寝てるだけになりがちで、日曜日は月曜からの練習みたいに起きて、動いてみてます。長い休みを取ったら、また、仕事にもどれなくなるかなって恐いなぁ。東京に生まれて育ったのに、どうしても東京というところがあわないみたいなのです。う~ん、またモノカキをはじめました。こんなときにスタートして不安だけど、気持ちは前向きにやりたいのでがんばってみます。でも、どうして罪悪感があるのかなぁ?あ、じいちゃんの写真見つけました♪ 笑ってて、いっしょにうつってるのは一枚だけだった。でも、自分を見て「誰だっけ?」とつぶやいてしまって、動揺。
[597] わかんないけど。
00/07/01(土) 14:05 manna
わたしの友人は、「歪んでいても親の愛はあったわけでしょ? じゃあ、歪んでるってわかった今なら、わかるでしょ?」と言いました。ちがうんだよって叫び出しそうになりました。違うんだよ。多少の差異はあっても、親も人間だからマチガイはあると思うし、失敗もすると思うけど、自分を愛するために子どもを愛したんだもの。そういう歪みは、まだ子どもだったmannaには理解できなかったの。だから、加療中なの。愛って、いろんな意味があるのかもしれない。でも、自分を愛せないと、誰も愛せない気もする。
[596] 愛という言葉
00/07/01(土) 08:05 いるか
みんさ~ん・・いい、いい、大好き~ チュッチュッチュッ( エo`W~☆☆☆そうなんよ「まぎれもなく愛」なんだけど、愛という言葉とか、いろんな言葉が手垢まみれになって、使いづらくなってんのね。僕も言葉使うのにチュウチョするけど、どうどうと「愛」という言葉を使いた~~い!!でも、まだ駄目かなぁ・・(エo`)=3 フー
http://www.m-ney.ne.jp/~ooeda
[595] It's me~~ 00/07/01(土) 02:23 My
Still having computer
problem!!I'm using the library computer trying to access IBM help site.Too bad
I can't read what you guys wrote.But,I'll be back soon~~~I hope.My
[594] 不思議クラブ2
00/06/30(金) 23:09 みん
mannaさん「そんなとき」もカキコして下さい。カキコをしてはダメなときは、もっとも深い部分の話をすれば、そこに愛がないときです。mannaさんは、ここで自分の愛を見つけようとしているのではないでしょうか?愛=肯定だと思います。自分の肯定を探すときに、自分の想いを文字にするというのは良いです。想いはある事実となって、文字として残ります。だからそれが嘘でも本当でもすこしだけ、文字になった自分の想いへの現実を見ることができます。それによって少しだけ実際に前進できます。「愛がない批判は嘘である」とう言葉を最近読んだ、死刑囚と作家とがやりとりしている手紙の本でも云っていました。批判しても愛があるからこの場所はイイんですよね。Myさん。愛だなんていう言葉を使うのは嘘っぽく感じられてしまうかもしれませんが、それは紛れもない事実だから僕にはどうしょもないです。「愛」はクサイ言葉だ、と思っている場合は、その人の愛がそうである可能性があります。>わたしって、なに?その「わたし」を好きだった人もいるし、そうでなかった人もいる。それだけじゃなく、愛おしさ、妬み、やさしさ、尊敬、なんていろいろ人のいろいろな想いの影響を受けている。、または、生まれてから今までの食事やその食材となった生命や様々な環境。子守歌や政治。すこし長い時間で見れば、自分が生きている間は、地球の上に生命が生まれてから、たった一度さえも途絶えずに続いてきた自分の遺伝子がある事の結果。そんなもろもろの実際にあった事実のうしろに生じた表現の最頂点が「わたし」だと思います。大がかりな話ですが冷静に考えれば事実そうです。不思議です。
http://page.freett.com/eee0/index.htm
[593] あまねのお父さん♪ 00/06/30(金) 09:48 いるか
あの~、その発言はMYさんなんだけど・・・まぁ私は似たような(多分前後の関係から同じ事考えているんだろうけど)考えではあるが「親に原因はあるけど罪責感はない」って立場とってるんだ♪
592] 冷や汗かいちゃった
00/06/30(金) 01:20 My
うちのコンピュターがもう少しでシャット・ダウンするところだった!何をどうしたのかわからないけど、いろいろやっているうちに、ここにたどりつきました。でもまたおかしくなるかもしれないから、そのときはコンピュータのせいだと思って、心配しないでね。
[591] 難しい問題かもしれませんが
パート2 00/06/30(金)
00:49 あまねの父
それからtakaさんにも質問して良いですか?>>いってる自分もなんだかわかんなくなってきた!>それは、庇おうとする気持ちからでしょうが、人類、世界の認識。。。なんて>自我肥大を起こしてキリストや仏陀になった気持ちでいるなら兎も角、>まともに口に出すことをためらうのでは?>だから、わけわかめになって当然と思う。なんだかいつもの冷静沈着さが見られないような・・・。鋭さがtakaさんの持ち味だと私は思っています♪さて本題。>人類、世界の認識。。。持っちゃいけないかな~?別に聖者になったような気持ちになっていなくてもこんなことを考えることが出来るのが人間の良いところだと思うんですけどどうです?口に出すことをためらうのは日本人の「恥」の文化のせいかもしれませんよ♪気心知れた同士で熱く語り合ったってOKでしょ?気心知れなくったて旅先のもう合わないかもしれない人にはいろんなこと打ち明けたりするし、私達って結構いいかげんで面白い生き物だとも思います。固定観念は砕いちゃいましょうよこの際だから。案外すっきりしますよ♪若いうちはそういうことを朝が来るまでも語り尽くしたりしませんでした?ここにいらっしゃる方々はきっと皆さんそんな方ばかりなのでは?心の年齢がいつまでも若いんじゃないでしょうか?良いことだと私は思います。それからだいぶ前になっちゃうし今回の件からはずれるかもしれないんですけど以前、私の「人間中心で考えてはいけないのでは?」という趣旨の書き込みに対してのレスで確か「平等」を「公平」では?と書いていただいたことがありましたね。私は「公平」ってしっくりこないんです。かならず「ジャッジ」がいる時に「公平」になるような気がして・・・。別に完全に平等じゃなくても良いんですけど、必要のない区別はできる限り削ぎ落として欲しいし誰かに与えられるような平等や公平はお断りしたいとも思うんですけどなんかおかしいですかね(^。^)
http://www.rimnesia.net/home/amane
[590] 難しい問題かもしれませんが
00/06/30(金) 00:43 あまねの父
まず、いるかさんちょっと聞いていいです?>未成年(厳密には何歳でも変わらないけど)が問題を抱えている場合、広義な>意味で親に責任がないケースはほとんどないその通りです。「広義」というところもきちんと押さえていらっしゃるんですね。「狭義」になるのかどうかわかりませんが、関係ないものも当然あることも押さえていらっしゃるということですね?そちらの方も現在の状況を(特に日本で)考察する場合かなり重要になることも押さえていますか?親の責任ではなく勝手に自己崩壊しているケースも増えているということを押さえる必要があると私は思うんですけど・・・。(外部からの干渉が原因にあることは同じかもしれませんが)
http://www.rimnesia.net/home/amane
[589] いるかさんの考えは妄想ではないですよ。
00/06/30(金) 00:18 あまねの父
みなさんこんばんは。私いるかさんのHP熟読しました。妄想ではないですよ。全面的に支持とまでは行かないですが、とっても良いものがたくさん詰まってます。私は0歳から6歳までのプロです。保育者ですからね。その辺がちょっとHPを読んだだけでは合わないように感じたのですが「話せば納得できるのかも」とも思っていました。takaさんは私の専門分野の上の年代が御専門ですか?もうすこしその辺をお聞かせ願いたいのですがどうでしょう?
[588] 不安定だったりします。
00/06/29(木) 23:35 manna
そんな時にカキコするなって感じですけど、ああ、どうしてじいちゃんの思い出がないんだろう? ぎゃあぎゃあ泣きました。うろうろしました。両手で両腕を引っかいたら、いたくて、生きてるんだなって思って、でも、じいちゃんはいない。葬式も言ったはずなのに、会ってるのに。笑いかけてもらってるのに? 記憶にない。皆無。アルバムひっくり返して、でも、他人事みたい。そういえば、古いメモがアルバムにはさんであった。保育園のときとか、小学校1年の時の連絡帳の端切れとかいろいろ。どうやら、3歳にして先生の言うことをきちんと聞く子どもだったらしいです。小学校のときは、人の話を聞いてるかどうかわからない子どもだったらしいそれで叱ったのに、当人は「なんで叱られたのかわからない」といっていたらしい。それ以外は、優秀だったともある。わたしって、なに?
[587] 妄想ではないと思います。
00/06/29(木) 07:55 taka
って違う。意見が違うことで相手に突っ掛かるのは不安定だからでしょう。安定した基盤があればMyさんのような意見になるでしょう。>いってる自分もなんだかわかんなくなってきた!それは、庇おうとする気持ちからでしょうが、人類、世界の認識。。。なんて自我肥大を起こしてキリストや仏陀になった気持ちでいるなら兎も角、まともに口に出すことをためらうのでは?だから、わけわかめになって当然と思う。
[586] 大人になるって、そういうことなの?
00/06/29(木) 07:49 manna
mannaは、自己主張を親にしたことなかったです。成人式も、親の都合で(って、晴れ着を買う金がおしいから)、行かなかった。口では「ただの祝日」って言われてたけど、今思うとなんで笑って許容してたのかふしぎだもの。そうなの?反抗って、いつするものなんだろう?う~んmannaは反抗期なかったって、母が言ってました。大人になってから、切れた(壊れた)ときが反抗期ね(^^;;;>さっさと出て行けば良かったのに。って、言われたことあるけど(社会人なって、母が内に逃げてきたとき)、そのとき、父は寝たり起きたりで、妹は高校生で、母だけ働いてて、暴力が内在してて、明日はどうなるかわからない状態で、は達の自分はそんなこと考えもしなかったな。
[585] わたしも今日は書きすぎ!
00/06/29(木) 03:15 My
みんさん、直リンクの件はまったく問題ありません。どうぞ、どうぞ。
[584] ????
00/06/29(木) 03:12 My
>それで人類は。。。なんて誇大妄想の世界に逃避してるんだ。
妄想ではないと思います。わたし自身は厳密には自殺未遂をしたわけでもないけど、まかりまちがえば死んでいたな、という感じはもっている。(もし、本当にそんなことが起きていたら、なんともったいないことだったろう!)どうしてそんなことになったのか、未だに模索しているのだけど、やはり親との関係が非常に深い、といわざるを得ない。わたしのケースは虐待でもなんでもなく、あの時代なら(今でも)ごく当たり前の家庭で、その結果としてのわたしたち三人の子どもも、一応無事に育っている。だから、ナンのものずきでこんなことをほじくっているの、といわれれば何ともいいようがないのだけど、個人的な体験を通して少し見えたものがあるから、それを話したい衝動に駆られているというところかな。そして、それは人類に絡んでいる。見えない世界に絡んでいる。犯罪も、心の病も、本物の恋愛も、ただ単に楽しく生きようとするだけでも、この世界を認識しないとむずかしいのだ、ということを感じているのだと思う。そして、それは本当に説明しがたいものだな、と思う。いやぁ~、いってる自分もなんだかわかんなくなってきた!とりあえず、具体的な話しに戻そう。
#553~#583 6/28~6/29/2000
[583] つづき
00/06/29(木) 02:31 My
と、ここまで書いて、もういちど例の十五歳の娘の問題発言を考えてみた。う~ん、やっぱり、「そんなことをあなたに言わせるようなことを、親のわたしがしたのだろうか、何をしたのだろう。言ってくれないか、言えないのなら二人で(お父さんも一緒に)セラピーに行こう」というアプローチの方が良さそうだ。しかし、そこで娘が(息子が)「ふざけるナ!もうおそいんだヨ!!」といって、殴りかかってきたらどうしよう。
[582] ちょっと整理してみる
00/06/29(木) 02:28 My
アミテイのような考え方は、わたしも全面的に支持します。「心的外傷と回復」の宣伝をするのも、まず、なぜトラウマ体験者たちが不思議な反応をするのか理解しなければいけない、と思ったからです。しかし、トラウマ理論だけではくくれない、ま、そこまでいかない、といってもいいのかもしれないけど、そんなような問題もあるような気がする。 まず、生まれてから三歳くらいまでの子を愛情をもって全面的に受け入れることについては、ほとんど反論がないだろうと思います。具体的にどうするのか、と言う点についてはいろいろあるだろうけど。でまぁ、このように出発すれば、後の子育ては非常に楽ちんなモノになるのだけど、残念ながら、そのような育てられ方をした親が少ないから、みんなまちがって、そのまちがった結果が世間にあふれている。 ここでは多数派であるまちがった結果について話し合った方が有益だろうと思うので、そのようにします。未成年(厳密には何歳でも変わらないけど)が問題を抱えている場合、広義な意味で親に責任がないケースはほとんどない。完璧な親などいないのだから、それを責めてもしかたがないけれど、まず「自分のせいではない」という観念を捨ててもらわなければならない。なんだかわからないけど、自分もドジをしたんだナ、くらいは思ってもらわないと、どうしようもない。その結果、親子の間で解決がつかないなら、必ず親が参加するセラピーをやっていかなくてはならない。ここで、セラピストの力量が問題になるけど、それはさておく。わたしは個人的には、問題の深刻度によるけど、近所の隠居に相談して親子で叱られてくるだけでもいいと思ってる。セラピーの目的のひとつは、これまでの年月、親子のあいだでくりかえしてきた悪循環を、第三者が整理整頓してみせてくれること、親も、その親の子として引きずってきたモノがあって、それが子どもとの対応に影響していた事実をはっきり知ること、これを知ることによってはじめて、親子のあいだで連帯が生まれる可能性がでてくること、具体的にモノの言い方など学ぶこと、などなど。
[581] ダイレクト
00/06/29(木) 01:58 みん
Myさん僕のHPと、このBBSとをダイレクトにリンクさせて頂きました。最近の話というコーナーを作ったのですが、この場所でだいたい話をしてしまっているからです。不都合があればお伝え下さい。>>うちの娘自殺未遂しちゃったんだもんね(ToT)>それで人類は。。。なんて誇大妄想の世界に逃避してるんだ。
妄想の世界(虚像)の上に深く安定した幸せを築くのは難しいと思います。それは必然性という流れに逆らっているからです。
[580] 自殺未遂
00/06/29(木) 01:18 taka
>うちの娘自殺未遂しちゃったんだもんね(ToT)それで人類は。。。なんて誇大妄想の世界に逃避してるんだ。
[579] そうなんだ
00/06/29(木) 00:17 いるか
僕は投稿しすぎたらしくて「一日10回までです」って出ちゃったので。12時すぎるの待ってた。>あのね、「コワイ」って書いたのは娘たちがそういう表現をしたからで、本心は尊敬してるってことなの。つまり、わたしもわたしの友人もあんまり叱ったり、オシオキしたりはしなかったのよ。むしろ世間の基準からいえば問題ありって思われるかもしれないくらい「いいんじゃないの」といってる部分が多かった。それなのに、娘たちは親が望む以上に世間が自分たちの親をバカにしないように気をつかってくれた、という感じなの。そうなんだ、MYさん怖いわけじゃなかったのね。僕のほうがきっと駄目親父だったかもしっれない(;o;)なんたって、うちの娘自殺未遂しちゃったんだもんね(ToT)
[578] 同志のまちがい 00/06/29(木) 00:17 My
子供の目にも、親が世間にいじめられている感じはわかっただろうと思う。
[577] だんだんわかってきた
00/06/29(木) 00:12 My
わたしたち親子は、世間とともに戦う同士だったんダ!
[576] 子育てと自我の確立
00/06/28(水) 23:32 あまねの父
ちょっとこの点だけ私いるかさんと見解を異にするところかもしれません。(読みが足りないだけかもしれないですが・・・。)私は他者からの干渉がなければ、自我の確立や成長はありえないと思います。そういうと語弊があるかもしれませんが、親から受ける干渉もあれば、兄弟から、友達から受ける干渉もあって始めて次のステップだと思うのです。それで、いるかさんの意見もtakaさんの意見も、両方とも「うんその通り」というところと「???ちょっと違うかな?」というところもありました。今日は眠くて詳しく書けませんが、せっかくだからお話しましょうよ。建設的に楽しく?。ケンカにはならないでしょう。ここに来ている人々は皆さん何か言葉の向こう側にあるものを持っていたり、見えていたり、見ることの出来るひとばかりですから。重要な観点だと思いますよ。ね♪MYさん。
http://www.rimnesia.net/home/amane
[575] 族・やまんば ひとくくりには出来ないよん
00/06/28(水) 23:23 あまねの父
もと暴走族?特攻隊長あまねの父です。(ホント)私の留守の間に面白いやり取りが・・・。残念参加したかった。あの一言書きますね。「族」父親とは全く関係ないですね♪あれって自己責任においてやってるんです。あくまでも。(本当ですよ)あの偏見は良くないですよ。もちろん人の迷惑になることも承知の上でやっている連中もいれば、出来るだけそうならないようにしている面々もいます。きちんとルールがあったんですよ。私達の時代は。今はそれが壊れているケースもあるようですが。それからやまんばね。あれって見た目はびっくりですけど、おかしなことを言っているのはTVにでている東京の皆さんが中心ですよ。だって北海道にあんな人々ほとんどいらっしゃいませんもの。おかしなものは取り入れないのが北海道らしさです。北海道で流行らないもはそのうちなくなる運命です。あんまりひとくくりにして考えても意味はないかもしれませんよ。それから「えんこう」あれも失礼ながら、本州中心です。北海道でも摘発されたケースがありましたが、本当にまれですよ。ほんとほんと。ACとかなんとかよりも、「金銭に貪欲」なことのほうが問題ではないでしょうか?あと気になったのは「いまどきの~」こういう言い方からそろそろ卒業しなくちゃね。私達もその上の世代も所詮はみんな「いまどきの~」だったんですから、この考え方から脱却しないと(固定観念を壊さないと)大切なものが見えませんよ。次の世代は、今までの私達の鏡でもあります。その世代を変えていくにはまず私達から。新しい世代に問題があるのではなく、その前の世代。ずっと伝えられてきたおかしな固定観念に実は秘密があるのではないでしょうか。なんだかわけのわからない事ですいませんですm(__)m
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[574] さらにつづく
00/06/28(水) 23:11 いるか
・スタッフはどんな人たちなの?スタッフの多くは以前、受刑者だった体験を持つ人たちです。アミティのプログラムを受けた後、専門的なトレーニングを受け、カウンセラーの資格を取り、インターンをつとめた後、ようやくスタッフとして認められる、というのが典型的なパターンです。刑務所内プログラムでは、服役中の受刑者がスタッフとして働いています。かれらもまた、子ども時代に深刻な虐待を受けた被害者です。・どんな効果があるの?「変わることはむずかしい。ここにいる仲間は私が失敗することを許してくれ、そのことを責めることなく支えてきてくれた。責任あるひとりの女性として、そして母親として変わるためには何が必要なのか、私自身がそのことに気付くように手助けしてくれました」(参加者の言葉)再犯率の低さに定評があります。ドノバン刑務所では、一般の受刑者の再犯率が63%のところ、刑務所内のアミティ体験者の再犯率は26%、半分以下にとどまっています。また、再び犯罪を犯したとしても、犯罪の内容が軽くなる傾向にあります。社会復帰後も麻薬に手を出したり、問題行動に走らないように、継続的なサポートを行なっています。
[573] 訂正
00/06/28(水) 23:11 My
>でやはり私も当時は必死になって怒ったりオシオキしたりして結構私を>怖がっている。でも彼女が大学に入って自己修復しようとした時には>思いっきり援助した。(つもり)あのね、「コワイ」って書いたのは娘たちがそういう表現をしたからで、本心は尊敬してるってことなの。つまり、わたしもわたしの友人もあんまり叱ったり、オシオキしたりはしなかったのよ。むしろ世間の基準からいえば問題ありって思われるかもしれないくらい「いいんじゃないの」といってる部分が多かった。それなのに、娘たちは親が望む以上に世間が自分たちの親をバカにしないように気をつかってくれた、という感じなの。
[572] つづき
00/06/28(水) 23:08 いるか
・どんなプログラムがあるの?>アミティが独自に運営する開放施設(20万平方メートルの、塀もフェンスも>ない敷地)で、100人程度が一定期間生活を共にする共同生活プログラム、>刑務所内で受刑者が中心となって行なう刑務所ないプログラム、社会復帰>後のフォロー・アップ・ケアや訪問サービスなど、広範囲にわたる支援を行な>います。また、ファミリー・セラピーや、子どもへのプレイ・セラピーなど、問題を>かかえる本人だけではなく、家族へのケアも充実しています。共同生活プロ>グラムの年間予算は300万ドル。各種財団や政府機関からの助成金が主な>資金源です。