JBBS 18 May , June 2001


[1958] Re:メッセージ 01/06/02() 22:16 おた

>

大変、申し訳ないのですが、「少し前」を振り返らせてください。
このところ、ここで皆さんの前で、(わたしにとり、みなさんの力を借りて)生まれ、赤ちゃんということ。それは急速に、成長?していたものがありました。
わたしの言い方は、大変伝わりにくいものだと想います。
だから、そんな自分を助ける為にも、どんどん変化して(ちょっとこわい)、成長していく為にも、わたしの愛する(ほんとだよ)みなさんに対して、今度は、わかりやすく、「伝える」作業を試みたいのですが・・・・・???
そんな事しなくてもいい気もしてますが、「失礼」でない状態で終わりたいので・・・
「みんな、愛の人で、みんなそのままで、愛しています」という事です。そのままでいいを
忘れてるだけだよ、とか、安心して包み込むような、安心して、ここに、嫌なものを捨てていっていいんだよとか、ただ、自分で、行きたいところへ身軽な心で自由に行けるよう、見守っていますね、とか、必要なときにはいつだって、側にいます、とか、
「母」のような気持ちなのかな。多分、みんなに、「父親」「母親」のようなこんな、
切ないものがあるような気がして・・・これも、わたしの思い込みかな。わかりにくいかな。

わたしの中では、ずっと前描いた「いるか星」は、そんな気持ちでかきました。


お葬式って、亡くなった人が遺族を慰めるためにあるんじゃないかな、ってこのごろ思うようになりました。おおぜいの人に支えられて、哀しくてもいろんな用事に追われている姿を亡くなった人の魂が見ていて、自分がいなくても大丈夫かな、なんとかやっていってくれそうだな、とか思っているのかもしれない。
>

みんなの頭にイルカぼし
またたいた

よかった・・・

これで安心して

かえれるよ・・・・・


・・・・・いま、おもいました。余計な「心配」してるだけかも。(入らなくつづきます)


[1957] 愛し合えない? 01/06/02() 21:47 ちぃ

わたしは独身です。
両親を見て怖くなったから、
殴るし、蹴るし、がんじがらめだし、人に言えないし、
いい子じゃないとダメだし
だいぶ逃れてきていますが(10年くらいかかって)まだこわい。
お見合いもいいかも。
よく、
結婚してから恋愛を楽しむとか言いません?
変なこと言ってたらごめんなさい。

 

[1956] 愛し合って! 01/06/02() 18:36 よっしい

お久しぶりです。
私は見合い結婚だから、子どもが欲しくて結婚したような物。
結婚してすぐ男の子ができたけど、同居の舅が喜んで離さない。
大人が4人(夫は会社だけど)も居るから、「抱き癖はついてもかまわない」といったけど、ベースに勤め英語を話すハイカラな舅が、1日中孫の守をするとは誰も思わなかった。紙オムツを持って、公園に出かけてしまう。
張ってくる乳の痛みに耐えながら、何の為に結婚したんだろうと思った。
今は、それも私の人生って思えるけど、当時はウツになったよ(^^;
そんな親も年を取り、去年姑を見送ったけど、MYさんの言うように葬式って残された人の為に行うもののような気がする。それぞれの縁を深めるような・・・。
姑が、「私の愛した人達を愛してください」って言ったような気がした。


[1955] だきぐせって、 01/06/02() 16:18 ひろみ

たいがいの母親は気にします。
私も「だきぐせが付くと大変よ」って先輩母の友達に言われました。
でも、「何が、どう大変なわけ?」って私は思いました。

赤ちゃんはだっこしていると、暖かくて、柔らかくて
抱いているこちらも、気持ちがよかったので、
私は、息子を年中だっこしていました。

いるかさん言うところの、「だっこして~!」の感情の固執が
残ってしまって、「人間不信」になるのならば、我が子は大丈夫だと思うけど、今では、だっこしすぎてズにのってる・・って気がする。(^^;)

でも、「抱かない母親」ってとっても多いのよ・・・。


[1954] 字余り分 01/06/02() 15:40 都築

いつからだったろう・・・・?
自分が全ての人に"愛されてる♪"って実感出来るようになったのは・・・

多分、自分が全ての人を"愛せる"ようになってからじゃないかと思うんです
そして、そうなってから幼少期の事を思い出すと「俺って、みんなに愛されてたなぁ・・・」って思えるんです
(僕は)愛されてた事(愛されてる事)で幸福感は感じません・・・・。
愛されてる事(愛されてた事)には、とっても感謝の気持ちが沸いてきます
でも、愛せる事にとっても幸福感を感じます。
形になってもならなくても、特定の人でもたまたま時を共有した見知らぬ人でも・・・・

きっと、幼児期の僕は自分が愛されていたなんて実感は無かったと思うんです。
あまり普通の家庭環境だったとは思えないし・・・・()

でも、自分が(特定の人だけではなく)他人を愛せるようになってから、自分が愛されている事に気が付いたんだと思うんです。
ただ、そうなってからは愛されいるかどうかは別にどうでも良い事になったような気がするんです。
きっといるかさんの言うように、他人からの愛に満ち溢れてるからかとも思えますけど・・・(いるかさんの意味とはちょっと違うか・・・笑)

だって、僕はたまたま電車で隣に座った人や公園でちょっと話し掛けた人を愛せるんですから、相手が僕を愛していないはずは無いじゃないですか・・・()
これって、むちゃくちゃな理論かなぁ・・・・(爆笑)

http://www.tsuzukis.com


[1953] 幼児期 01/06/02() 15:34 都築

僕、娘2人を連れて再婚した母と建設業で家にはほとんど居ない父との間に生まれた長男なんです。
父は僕が生まれた後も、家に帰ってくるのは何ヶ月かに1度でした。
母は仕事をしていたので、乳児期は今で言うベビーシッター(乳母)に育てられました。
3
歳からは保育園の延長保育で、みんな帰った後の保育園で何か仕事をしてる先生の横で一人で5時か6時頃まで居ました。
姉は上の姉が僕と14歳、下の姉でも10歳離れていて、僕が保育園の頃には高校と中学の姉2人は札幌で2人でアパート住まいをしていたので、とにかく家族はみんなバラバラに生活していたようです。
父が帰ってくると(本当はその頃の僕は「お父さんが"来た"」「お父さんが"帰る"」と言ってたんです・・・笑)、いつも次の日に僕が起きる前に布団は空でした・・・(始発で仕事場に帰っていたようです)
寝る前に「帰る前に起こしてね」って何度約束した事か・・・
でも、いつも朝起きるともう父は居なかった・・・
寝る前に、父の手と僕の手を紐で縛って寝るんです()
でも朝起きると、いつも僕の手に反対側が解けた紐が絡み付いて父は居なかった・・・。
小学校の時に、家の前で友達と遊んでいたら叔父(父の弟)が訪ねて来たんです。
僕は「パパァ・・・」と走って抱きついてから、家に「パパ帰ってきよぉぉ」って走って母に知らせに行ったんです。
父の顔を忘れてしまってたんですね()
単身赴任の子が父親の顔を忘れるって笑い話があるけど、僕はそれよりもひどかったかも知れない()

母のしつけはめちゃくちゃ厳しかったです。
上の姉二人はしばらく片親だったし、僕も片親みたいな生活だったし「片親だからって指を指されないように・・・」という事で、ガンガン殴られました。
スリッパならまだしもデレキ(Myさん知ってますよね?火かき棒です)で叩かれたり、幼少期の記憶はなんだか毎日叩かれていたような気すらする()
下の姉と10歳も離れてるから、ほとんど一人っ子みたいな状態でした。
4
つ年下のいとこの"由美ちゃん"が大好きで大の仲良しだった

 


[1952] Re:そうだった! 01/06/02() 15:26 ひろみ

>愛されるには愛すればよい。でも愛することができるようになるには愛されなければならない、というサイクルなのだった。

だから、愛することが出来る人は、どんどん愛して、いっぱい愛して、愛する事が苦手な人にも愛することが楽になるようにするんですね!

そうやって、みんなが、愛してる!!って言えるようになるのね!

誰もが「愛すること」が苦手じゃなくなるように


[1951] いるかさんの話を読んで・・・ 01/06/02() 12:56 ひふみ

自分ではたぶん このさびしがりの根元は、幼児期にあると感じているんです。
私が一歳になった頃、弟が生まれて さらに妹も二人出来て、母はいそがしくて・・・

いつか書いたけど、ドクターが私の心の奥底を見透かしたように「あの子」という表現を(私のこと)使ったのにドキッとしたのも いるかさんの言う「だっこ願望」なるものの存在に自分で気がついたからだと思います。
でも人間不信ではないですよ。たださびしがりなだけ。

夫はこんな私を知っているので 自分がもうすぐ死ぬ事がわかった時
ひとことだけ「再婚していいよ」って言いました。(具体的な、いわゆる遺言(?)みたいなもの、ってこれだけなんです。ほかになんて言っていいかわからなかったんでしょうね。) ま、これは余談だけど。

ところで私のきょうだいは こういうさびしがりは 私だけです。
ふたりは子連れ離婚、もうひとりは別居結婚。みんなさびしがりではなさそう。
同じきょうだいなのにねぇ。


[1950] ウソかほんとか知らないけれど 01/06/02() 12:26 れいこ

スペイン語では、「わたしはあなたを愛してる」という言葉は
「あなたはわたしを愛してる」という言葉と同じなんだって。
スペインでそれ聞いたとき、へぇ~~って感心した。
なんとなくスペイン人っぽいなぁ(^^って。

5さいの娘はこの世界をまるごと愛してる
彼女の愛される理由がよくわかる・・・


[1949] そうだった! 01/06/02() 11:24 My

愛されるには愛すればよい。でも愛することができるようになるには愛されなければならない、というサイクルなのだった。愛の対象が人間のときは、本当に、とても難しいモノがある。だから、人間いがいのものを愛することから入っていくのもいいのじゃないかと思う。まず植物、そして金魚とか鳥とか、世話のしやすい動物から猫、犬、そしてこども・・・って。犬の先に進めない、って人もたくさんいるけど、それでもいいかなって思う。来世もあるし。

 


[1948] うん、でもね 01/06/02() 11:00 いるか

難しい話にしちゃうのはなんだけど。
子供の頃ってか赤ちゃんの時「だきぐせがつく」とかいって
あんまり「ダッコ」されなかった子供は「感情の固着」が起こったりして
「ダッコされた~い!!」という強烈な感情がのこっちゃうのよね。
大人になると、まさか公には「ダッコして~!!」ともいえないので、
いろんな表現するけど「ダッコ」のたりてる人には理解しにくい感情かもしれない。
 でも、この感情は「ダッコ」されたから解消するってもんでもなくって、大人になればなるほど「複雑」になるのよね(エ`)ムズカシイ
 基本的には「人間不信」が解消されればいいなぁ・・・・・みたいなぁ

 


[1947] チャットみたい 01/06/02() 10:35 My

都築さんと同時にPCに向かっているらしくて、投稿するたびに都築さんのとすれちがいになる! そちらは夕方の6時ころかな。夕食はまだ?
葉隠れの話、風と太陽の逸話みたいなものよね。強制によって人を変えることなんてできないのよね。自分が他人に対してできるのは、感応というか、心に訴えることというか、駒を並べて相手に選ばせるしかできないのよねぇ。
愛の話はね、わたしもやっとそれがわかってきましたよ。ホントに、愛されるより愛する方がずっと気分が良い。愛されなくてちっともかまわないくらい気分が良い。わたしもみんなのこと、とっても愛してる!!

 

[1946] ミツバチとイカ 01/06/02() 10:24 My

ミツバチかどうかわかんないけど、玄関のドアのそばにハチが巣をつくっちゃったりして、あけたてするたびにブーンブーンとうるさい。前に飼っていた犬が野菜畑のそばをクンクンやっていてハチの巣に鼻をつっこんじゃってね、モロに刺されたの。ところが彼はアレルギーだったらしくて、顔がプーと膨れ上がって狂ったみたいにもがいてもがいて。日曜日の夕刻、自宅でくつろいでいた獣医さんに懇願して注射打ってもらった。こういうときのために錠剤を用意しておいた方がいいみたいね。ハチに刺されたために避妊ピルが無効になって妊娠しちゃった、という人の話も聞いたことがあるなぁ。

>イカに小麦粉と粉チーズ半々くらいにつけてフライパンでいためたり、
>ショウガ汁とケチャップで味付けしてもおいしい。

これ、おいしそう!でもこの辺では冷凍のイカしか手にはいらないなぁ。

 


[1945] 01/06/02() 10:17 都築

僕すぐ余計な口をはさむのですが(汗)、ひふみさんに一言だけ「僕もとっても当たり前の事を実感してます」ってお伝えしたいなぁ・・・

騙されている人よりも騙してる人の方がずっと(心が)つらいと思うんです。
嘘をつかれた人よりも、嘘をついた人の方がずっと苦しいと思うんです。
そして、たくさん愛してる人の方が、たくさん愛されている人よりもずっと幸せだと思うんです
誰かにたくさん愛されてる人が幸せそうに見えるのは、逆にその人ががたくさん(誰かを)愛してるからそう見えるんだと思うんです
だって、たくさんの人に愛されてるのに誰をも愛していない人は、自分が愛されているか愛されていないかに関わり無く、とても『寂しくて、可哀想な』人になると思いません?
「愛されたい」って感じるのは、実は「愛する相手が欲しい」って感じてるんじゃないかなぁ?
で、本当はいろんな人を愛してるのに、自分自身に頭で「私はこの人(モノ)を愛してる」って納得出来る『形になる何か』『頭で理解出来る何か』を見つけないと安心出来ないんじゃないかなぁ?

愛する相手なんて誰でも良いと思うんです()
それが形の無い霊でも、スーパーでたまたまレジの列で一緒になった人でも・・・・
きっと誰でもを愛せると思うんです
実は、自分では知らずに愛してると思うんです()
それを「頭が」認めていないだけで・・・・

そして、愛する人(名前も知らなくても)が多くなればなるほど、どんどん自分が幸せを感じられるような気がするんです。
そして自分が幸せになるのは、自分を愛してくれているたくさんの人(近所のおばちゃんやバスの運転手さんや)に対する感謝の気持ちでもあると思うんです

僕、ひふみさんもおたさんもいるかさんもMyさんもひろみさんも皆さんを愛してると思ってます
だって、だからきっと僕はここで毎日こんな事だらだら書いてるんじゃないかとも思うんです
でも、愛して欲しいとは期待してないです()
逆にたくさんの人に愛されたら、その分僕は幸せにならなきゃいけない義務が増えるから大変かも・・・・()

 


[1944] 葉隠れ続き(笑) 01/06/02() 10:11 都築

同じ『葉隠れ』で、
"
「最近の若い者は・・・」などと口にするけれど、誰でも頭ごなしに注意されたり指摘されたりすると反発するものだろう。
まずは軽い世間話から入り、相手の良いところをそれとなく誉め、最後に軽く「ここをもう少しこうしたらもっと良くなれるよねぇ」と話す事が大切なのではないか?
それをせずにいきなり頭ごなしに叱咤激励をするのは上司としての資質に欠けている注意する側の問題であろう"
というくだりもあります(原文は記憶に薄いので僕の言葉で要約してますけど・・・汗)
『葉隠れ』って、哲学書だったり、現代社会の処世術だったり(多くのカッパブックスの様な・・・笑)、サラリーマン必見の書だったり(笑)、いろんな顔を持ってる面白い本なんですよ

下の『芝居』もそうですが、おたさんとひふみさんのやりとりから僕が勝手にふと思い出しただけで、おたさんとひふみさんの事で直接僕から伝えたい何かって意味じゃないです・・。

 


[1943] 01/06/02() 10:05 My

>死んですぐの時は別としても(良く判りませんが)、今の『生前僕の父だった人』>も、自分が僕の父だったなんて事は関係ない世界に居ると思うんです。
>
あるいは彼(?)にとって、そんな事実はもう必要ないと思うんです。

この辺は誰も証明なんかできない世界だから、好き勝手なことを言ってもいい、と
前置きした上で・・・霊はある時点から(ふつう葬式が終わってからかなぁ?)
個別化がなくなるのじゃないだろうか。それでいて変幻自在という感じなのかも。
だから、都築さんが望めば、ちゃんと都築さんのお父さんの役回りをやってくれるのじゃないかと思うのだけど。霊にとってはアストロ・トラベルなんてわたしたちが呼吸するのと同じくらい当たり前のものだろうし、意識を何億個にも個別化できるのじゃないかなぁ・・・まぁ、この辺のことは、自分に都合のいいように考えておいていいよね。だれもわからないのだから。
わたしもこのごろだんだん成長して(^^)頭で考えない人間になってきたようだから、霊がなついてくれるかなぁ。そうなったら寂しくなくていいなぁ、なんて思っているのだけど。

 


[1942] 芝居 01/06/02() 09:44 都築

あの「武士道とは死ぬことと見つけたり」で大変誤解されている「葉隠れ」に「切るつもりが無いのに脅しで刀を抜いてはいけない」(これも原文は『抜いた刀は切らなければ納めてはいけない』みたいな誤解されやすい文章だったかも・・・)という一節があるんですよね

聞いてみるとモンタナだったかイリノイだったかの田舎で生まれ育ったアメリカ人の友人も子供の頃に同じ様な事を父親に言い聞かせられていたと聞いて驚きました。
つまり「(狩猟の時の)銃は、本気で撃つ準備が出来た時まで構えちゃいけない」というような事だったと思います。
ロス市警の警察学校でも、(日本のように)空に向けて威嚇射撃をする事は堅く禁止しているそうです。
「銃は威嚇や警告の為のものじゃない、威嚇や警告なら笛を吹くなり叫ぶなりしろ!」って事らしいですが・・・・。

三島由紀夫氏の著書のどれかに「抜く刀は、切る覚悟が出来てから抜かないと、自分が抜いた刀で『そこまでするつもりは無いんだけど・・・』と自分自身が躊躇ってしまう」と書いてある本があったように記憶しています。

 


[1941] 父の霊2 01/06/02() 09:27 都築

<<続き
彼(?)は肉体があったから、僕の父としての役割が割り当てられていた訳ですけど、肉体が無くなった彼はもうそんな事は関係ない世界に居ると思うんです。
いつか僕も肉体が無くなった時に、『その世界』で彼と僕は親子という関係じゃないと思うから・・・・。
あるいは、『彼と僕』ですらないかも知れない・・・・・。

「あの世に行っても僕の事を父として見守っていて欲しい・・・」という僕の気持ちは、僕がまだ『この世』で『肉体を持って』行動してるからだと思うんです。

そう思うと、僕のところへ現れていた『何か』は、きっとその中間地点(移行途中)で混乱してる人(モノ?)だと思ったんです。
そんなモノ(人?)達が、頭で考えた行動ではなくなんとなく僕のところへ集まってくれていた事に僕はとても光栄だと思っていました
居心地が良かったのか、何か同じ周波数を発してたのか・・・・(って事は僕も半死人?笑)
でも、最近とんと起きないです(汗)
居心地が悪いんでしょうねぇ・・・僕の周りの空気が・・・・
結構『社会』の事で『頭』を使ってますから・・・・(苦笑)

『頭』が『心』を覆い隠してしまうと、霊(?)を拒絶する空気(周波数)でバリアーを張ってしまってるような気がするんです・・・・・
あっ、でもこれは全ての人に言える事だとは思ってません。
僕の場合は・・・・です

 


[1939] 父の霊 01/06/02() 09:23 都築

僕、一般の人たちもはるかに多い霊体験を体験してますけど、自分で見たり触れたり聞こえたりした事は一度も無いんです()
僕と一緒に居て、見たり聞こえたり触られたりした人は、
「こんな事初めて・・・」の事が多くて、僕は「おやまたか・・・・」なので、呼んでるのは僕らしいのですが、僕自身は見たり聞いたり触られた事はいまだに一度も無いんです(苦笑)
でも、最近そんな事が少なくなって少し反省しています(汗)

心当たりの無い霊現象が頻繁に起きると、僕も映画6th Senseのように「僕に何をしてくれというんだろう?」って悩んだ事も有ったんですけど、考えてみたら霊は欲求なんて無いはずなんですよね。
『社会』や『肉体』がなくなると(逆に肉体があるから社会が必要なんでしょうけど)、『頭で考える』って事をする必要が無くなるはずだと思うんです・・・・。
いるかさんのご専門の物理の分野では多いと思うんですが、何も考えていないモノ同士がお互いに引き合ったり、同種のモノが自然に集まったり・・・・・。
運動を制限する『肉体』や、肉体を守る為に後から身に付けた『考える』という行動制限をする必要がなくなると、僕の霊現象は「僕に何をしろというのだろう?」じゃなくて、きっと『居心地』とか『同種の周波数』とか、そんな事だろうと思ったんです。
つまり頭で考えて行動していない人が何を考えているのだろう?って考えるのは、ただ自分の目線でしか物事を見えていない証拠だなぁ・・・なんて思ったんです。

死んですぐの時は別としても(良く判りませんが)、今の『生前僕の父だった人』も、自分が僕の父だったなんて事は関係ない世界に居ると思うんです。
あるいは彼(?)にとって、そんな事実はもう必要ないと思うんです。

 

[1932] メッセージ 01/06/02() 02:31 My

都築さんみたいに不思議体験をいっぱいもっている人でも、お父様が亡くなったときに「ふと感じた」ことがなかったのかしら。なんか安心した。わたしは同じ家の中にいた父が亡くなったとき、何か感じていたら父のいる部屋になんとなく行きたくなって、最後に顔をみせることができたかもしれないのに、なんて思いつづけてきた。胸騒ぎとか、したことがないのよね。鈍感。でも4年前に姉が亡くなったとき、6月だったのだけど、街で彼女が好きそうな誕生日カードをみつけて(誕生日は8月だった)うちに帰ってきたら、日本から電話があった。
お葬式って、亡くなった人が遺族を慰めるためにあるんじゃないかな、ってこのごろ思うようになりました。おおぜいの人に支えられて、哀しくてもいろんな用事に追われている姿を亡くなった人の魂が見ていて、自分がいなくても大丈夫かな、なんとかやっていってくれそうだな、とか思っているのかもしれない。

 

[1906] 白と黒 01/06/01() 09:49 My

まる一日、どれかひとつのなぜにでも答えられるかどうか考えてみたけど、人間がなぜ病気になったり死んだりするのか、は残念ながら白黒がつけられないと思う。古今東西の聖人が同じ疑問を持って悟りを得たといわれているから、わたしもいろいろ勉強してみたけど、なぜに関してはその人の魂が、現世の価値観とはまったく違う理由で選んでいるらしい、ということしかわからない。
ただ確実に言えることは、人間を罰したりする神様なんて存在しないし、前世の罰なんてものもない。涅槃からやってきて涅槃に帰っていくだけなのだそうだ。生きる意味は、この世でしか体験できないことを体験することだという。それはきっと五感を使って体験できる世界ということなのだと思う。涅槃でのわたしたちは全知全能で苦しみも哀しみもなく、虹を想像することはできるかもしれないけど、目で見ることはできない世界なのでしょう。だからみんなここに舞い戻ってくる。白黒じゃない極彩色の世界に遊びにやってくる。わたしは自分の死んだ家族はみんなここいると思っています。都築さんみたいに感じることができればいいなぁ、と思うけど。と、いうのがわたしの世界。誰もどれが正しいかは証明できない世界。
ひふみさんの なぜ?に答えられなくてごめんなさいね。

自分は幸せになってはいけないような、そんな変な気持ちとか、おたさんの
なにかあるとまず、自分が悪いんじゃないかと、思うことが多かったです。
は、「認知の歪み」だと思います。いつか、どこかで、そんな風に感じなけりゃならないような刷り込みをされたのじゃないだろうか。わたしにもおぼえがある。
幸せになってはいけない人などいないし、すべての不運に責任があるほどのパワフルな人間などいない。仮にそんなパワーがあったら、逆転もできるはずだし。悪い方にばかり超能力を発揮できるなんて理屈に合わないよ。
欧米では宗教の多くが自己嫌悪の刷り込みをやってくれるけど、日本では誰がやっているのだろう・・・世間かな。

 


[1905] ひふみさん 01/06/01() 00:36 おた

今夜は、月が右に少し傾いて、少しふっくらとした半月です。
パッヘルベルの「カノン」をきいてみて・・・
まるく、うずくまって、おもいきりうずくまって、すこしづつ、からだを起こしていって・・・首はまだ、最後。せぼね、おしり・・・ゆっくり起こして・・・
姿勢をもちあげる(せぼねをのばして・・・)そして、さいごに、うなだれた首を
ゆっくり、ゆっくり、(いそがないで)静かに呼吸をしながら、ゆっくり、
もちあげていって・・・しおれたお花がまた、太陽に向かうように・・・
顔を上げて、ゆっくりどんどん向けるとこまで上を見て・・・手も上げていって、
てのひら、太陽のひかりをいっぱい受ける感じに・・・

ひふみさんのいっぱい好きをあつめて、(それはもう手にとれないものでも)
抱きしめていてほしいな。どこかに亡くしてしまったもの、形にはなれないものも・・・ひふみさんのいっぱい好きがあったと思うの。抱きしめて・・・
抱きしめて、形のないものがあればあるだけ、抱きしめられる、ひふみさんが、
ひふみさんを抱きしめるよ。

ひふみさんが大好きな布でカバーして、贈りたい「絵本」があるんだ。
届くかな?
おたは、その「絵本」を捜しにいってくるよ。
ひふみさんから、いっぱい「やさしさ」をもらったよ。
待ってて。すぐ戻るから。





 


[1904] 白と黒 01/05/31() 20:02 ひふみ

突然話が変わりますが、私は 「灰色」がだめなんです。
白か黒かどちらかにしたいんです。
 
なぜ息子は「原因不明の」急性脳症で死んだのか。
なぜ次の息子は「原因不明の」発達の遅れがあるのか。
なぜ夫は 半年ごとに検査してたのに 手遅れの末期がんになるまで
わからなかったのか。
なぜ?なぜ?なぜ?

カウンセラーのドクターは「だいぶ灰色でも我慢出来るようになった」と言ってたけど。(自分でもそう思うけど)


[1903] 01/05/31() 19:48 ひふみ

>基本的には自分以外の人の身に自分の無意識が影響を与えることはできない

そうなんですか?
そう信じる事が出来たらいいのに・・・
自分は幸せになってはいけないような、そんな変な気持ちがするんです。

 

1908] いい話 01/06/01() 09:58 My

きのう友人からすてきな話を聞いた。彼女が子どもの頃、フランス人のおばあさんが毎月絵葉書を送ってくれたそうな。それはルノアールやモネやetc.の絵葉書で、その絵について小学生だった彼女がワクワクするような話を書いてくれたそうだ。
今でも葉書は全部とってあって、おばあさんの画集コレクションも亡くなったとき遺品としてもらったのだって。
わたしもこんなおばあさんになりたいなぁ、と思いました。

 

 

[1897] 集団意識 01/05/31() 02:52 My

自分の身に起こることは、当然、集団意識の影響を受けているのだから、嫌なことが起きたときに、何もかも「自分のせいだった」なんて思ってはだめよ。それから、基本的には自分以外の人の身に自分の無意識が影響を与えることはできないのだ
そうだ。自分が選択できるのは自分自身に関してだけ。戦争だとか疫病だとかも集団意識の象徴だとか、結果だとかという考え方もあるけど、まぁ、せんじつめれば、そういえないこともないけどね、この辺のところはややこしいから、あまり深く考えないようにしよう。

 

[1886] またふと思っちゃった! 01/05/30() 03:08 My

「ふと思う」ことは、無意識のまた少し奥にあるもかもしれない。ま、どこにあるかなんてどうでもいいよね。でも、自分が無意識に思っていることの多くは、子どものころに積み上げたものが多い。そのなかにはいらないものやまちがっているものがたくさんあるので、ほじくりだしてきて訂正してあげると、とても楽になるときがある。ここで話したりしているうちに、他の人が自分と違う物の見方をしていることに気づいたり、自分が忘れていたことを言ったりして「あっ,わたし、それを仕舞い込んでいたな」とか「小学校の先生にこう言われたから信じ込んでいたな」とか思うことってあるのじゃない?そして、それが今の自分の現実にそぐわないものだったら、ポイっと捨ててしまえばいいのよね。
だから、なんでもいいから語れるようになるのは、とても健康にいいのよ(^^

 


[1885] ふと思うこと 01/05/30() 02:46 My

わたしたちの人生に起こることの多くは、自分が無意識的に選択した結果だ、という考え方がある。そして、その個人の無意識は多かれ少なかれ集団意識や無意識に影響されている。これが「流される」ということじゃないだろうか。
「ふと思うこと」っていうのは、自分の無意識下にあったものが表に出てきたもので、表に出てきたから自分が認識したというプロセスがなくても、起ったことかもしれないね。ただ、「ふと思っちゃた」から、あとで考えたらそれが実現した、という感じになる。意識的に思ったことは、筋道立てていろんな努力をしたときに実現することは多いけど、無意識下の選択と矛盾する選択を意識的にしたときは、けっこう苦労しちゃうのじゃないかな。でも、無意識に持っていた願望が表面化して(ふと思っちゃって)、さらに意識的に追い求めちゃったら勢いがつくだろうな、という感じがするけど、どんなものだろう。
わたし自身は、今、自分の半生を振返ってみて、少なくとも大人になってからは
自分が思ったことは良いことも悪いこともほとんどすべて実現しちゃってるなぁ、
という感じをもっている。だから、これからはせいぜいいいことをたくさん思うようにしなくちゃ!
いるかさん、メキシコならば、もっともっと安く一軒家が買えるよ(^^

 

 

 

 

 

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