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隗より始めよ。
国と都道府県と市町村 2
先日、HPの掲示板に紹介しましたが、知人を経由して、こんな感想をいただきました。
そうだろうな、と思います(私は直接、市町村担当者と接することはありませんが)。
『だから歩いていくんだよ。』は、早いもので発行を始めてもう5年目になります。昨年度からは、私が財政課に配属になったこともあり、国との関係、県という組織のことについて書くことが増えたせいか、似たようなご意見をいくつかもらっています。
以前にも書きましたが、国と県と市町村の関係と同じものを県の組織の中にも見ることができます。その「県の中の上下関係(というより、上下意識)をどうしたらなくせるか(現場の人間がどうしたらやる気を持って仕事ができるか)」をテーマに、ソフト化経済センターにいたときには共同研究会を開いていました。参加してくださった武蔵野市役所の人も私と同じような意識をお持ちでした。
昨年のことですが、こんなご意見もいただきました。
ペーパー拝見。おもしろかったです。
1箇所引っかかりました。予算ヒアリングのための机の配置に関してです。
「お上意識」が感じられますね。つまり現場の人間を「こさせて」いますね。
発送が逆です。現場に出ていかなければいけません。住民を呼びつける発想から抜け出ていません。困ったものです。アイデンティティと行動が一致していません。相変わらず「査定」しているわけです。
おととい、自治省の大臣官房の友人と話していたのですが、県庁の連中はほとんど地元に出ていかない。あれで仕事ができるはずがない、と嘆いていました。全く同感です。その構造が、実は庁内にもあるわけです。
そのとおりです。この庁内にある構造を壊していかなければなりません。
財政課に来て最も嫌気がさしたことの一つが「担当課の職員を呼びつけること」でした。予算ヒアリングのみならず、各種の照会のお願いをするときにも担当者を呼びます。
私はそれがとてもイヤだったので、できるだけ自分が足を運ぶようにしました。
初めのうちしばらくは、チーフに「(わざわざ行かなくても)電話して呼べばいいよ」と言われていましたが、そのうちチーフは何も言わなくなりました。先方も、最初は私が足を運ぶたびにとても恐縮されましたが、次第に何も言わなくなりました。
私と一緒に配属になった人も、私と同じように足を運んでいましたし、今年から私の隣席に配属になった人も自分から足を運ぶことを心がけています。普通の感覚であれば、それが普通なのです。でも、環境が感覚を変えてしまうのです。慣らされてしまうのです。
当初、「呼びつける」環境について何人かに愚痴をこぼしたところ、「私と同じ感覚を持っている」と思っていた人たちにさえ、「そういう立場になったのだから呼べばいい」、「そういうことで上下関係をはっきりさせるところなんだから、お前も乗ればよい」なんてことを言われ、少なからず驚いたことを覚えています。つまり、彼らも財政課に来たら「呼びつける」環境に慣れてしまうわけです。とても怖いことです。
だれもが、きっと初めはおかしいと思うはずです。でも、だれも「おかしい」と言い出せないのです。
これと同じことが、国と県、県と市町村との間にもあるわけです。
財政課の場合、異動頻度が低く、10年在籍している人も珍しくありませんが、古くからいる人の言動がルールになってしまっています。新しい職員は、古くからいる人の仕事を見て仕事を覚えていきます。おかしいと思ってもそれを言い出せずにいます。あるいは、言ったところで、私と同じように「わざわざ行かなくていいよ」なんて言われてしまいます。でも、その人と同じようにやっていれば、文句を言われたり注意されることがないので、前例を踏襲するようになります。そうして、変えることをしなくなるのです。その潜在的な言い訳は、「その人が異動しないと変われない」、「(課長、チーフなどの)変えるべき立場にある人が変えてくれない」です。
先日、行政管理課から職員に対して注意文書が流れました。ある市町村職員からの「市職員として働き、10年以上になりますが、いつになったら県と市町村の立場が対等になるのでしょうか。」で始まる投書を紹介するものでした。
県のような大きい組織になると、変えることはとても大変です。でも、だからといって誰かに頼っていても何も変わりませんから、私は私にできることをするのです。
国も、都道府県も、市町村も変わらなければいけません。「県が悪い」、「市町村がいけない」、「国が変わらなければ」と言うのは簡単ですが、言うばかりではダメです。自分も変わることが必要です。
そういう意味で、地方からの変革は十分可能です。むしろ、国よりは県、県よりは市町村という、より小さな組織からしか変革はないのではないかと思っています。
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