サンショウウオの呼び名を替えよう
山椒魚 ⇒ 瀬守(セモリ)

提案者 : 獣医師 技術士 農学博士 中島健次


さんしょううお 両生類有尾目サンショウウオ科とハンザキ科の動物をいう。これらは山椒の気がある。あるいは山椒の木に登って樹皮を食うといわれ、そのため山椒魚の名があるという。またその膚が山椒の木の皮に似ているためとの説もある。(平凡社「世界大百科事典」1967の冒頭より抜粋)

 今どき、こんなナンセンスな説明を真に受ける者はおるまい。
だが、幼稚園児や小学生は素直に信じてしまうかもしれない。
子供達にウソを教えることは、理由の如何を問わず悪である。
また、魚類でないのにウオと呼ぶのも紛らわしく、適切でない。
 よって、山椒魚の呼び名を改め、「
瀬守」への変更を提案する。

山椒魚散所魚

さんじょ【散所】 A古代末・中世、その住民が年貢を免除される代わりに
権門社寺に属して掃除や土木・交通などの雑役に服した地域。また、その
住民。浮浪民の流入するもの多く、賎民視された。室町期以降、卜占・遊芸
を業とするものが出た。近世、「算所」「産所」とも書く。(岩波広辞苑第3版)

安寿恋しやホーイホイ、厨子王恋しやホーイホイ。
森鴎外の小説「山椒太夫」は、散所の頭領(太夫)を美称したものである。
それと全く同じで、
山椒魚とは、まさしく散所魚の美称に他ならない。
では、なぜ日本で salamander が
散所の魚と呼ばれたのか?

大昔、勇敢な先祖は親指を切られた

 神々が鉄剣を振りかざして攻めてきたとき、日本先住民のすべてが無抵抗のまま、おとなしく奴隷にされたわけではない。
 勇敢に反抗した部族もあった。全滅か降伏かの瀬戸際で、降参した勇者たちは、二度と弓矢を引けないように、竹槍や棍棒を握れないようにと、両手の親指を切られた。

 そして、ヨモのヒクミが交差するケカレチに追放された。そこを散所と言い、稲作の不適な谷間や低湿地に今も痕跡を留めている。
 salamanderは手の指が4本で渓谷に住む。それで、散所魚と呼ばれたのである。

 降伏寺で神々に踏みにじられている4本指の勇者こそ、現代日本人の約85%を占めるわれわれ庶民のご先祖様に他ならない。

 よも(四方)のタカミ(高位線)を結ぶところはイヤシロチ(癒・社)にてミソギ(禊)よし
よも(四方)のヒクミ(低位線)を結ぶところはケカレチ(気枯れ)にてミソギふさわず
 
〈古事記「高御産巣日神」タカミムスビノカミの原意:カタカムナノウタヒより抜粋〉

「天邪鬼」の指を4本にしたのは、仏教本家のインドや中国から直輸入されたも
のなのかどうか。この提案者は史学者でも宗教学者でもないので分からない。
ぜひ専門家の意見を拝聴したいところである。もしも日本独自の形であるなら、
進駐軍に反抗した勇敢なる日本先住民の痛ましき姿を写したものに違いない。

断指の痛みは今も連綿と続く

 指を切られた勇者たちは、二又の小枝を紐で人差し指に結わい付けていたのではなかろうか?
 切り落とされた親指を補うための義指が左記の手木(てぎ)であろう。 

 その辛い記憶が江戸時代まで消えずに残り、十手という名称になったのだろう。
つまり、十手とは10指に他ならない。

 平凡社世界大百科事典の「十手」を見ると、17世紀中頃に陳元贇なる中国人が使用法を伝授したとされている。
 だが、本当に中国伝来の武具であるのなら、中国では何と呼ばれていたのか?
 その名称が日本に普及しなかったのは何故なのか? 答えられまい。

 故に、十手とは日本独自の哀しき道具と見るのが正解だと思われる。

改名案:セモリ(瀬守)

 本来なら、同じ両生類有尾目のイモリ(井守)と並べ、渓谷に生息するのでヤモリ(谷守)と呼びたいところである。だが、それだと屋根裏に住む爬虫類のヤモリ(家守)と重複してしまう。
 そこで、
瀬(川などの浅くて徒歩で渡れるところ)に好んで住む両生類ということで、セモリ(瀬守)の新和名を提案したい。      01/02/05作成


この改名案を有害無益と否定したい方々は、次の反証を提示して欲しい。

〔反証1〕 オオサンショウウオの発する独特の臭気が山椒の香気と化学的に同一成分
      であることを立証されたい。サラマンダー全種についてのデータも望まれる。
〔反証2〕 日本には何万冊の古文書があるのか知らないが、それらのどこにも「散所魚」
       と書いてないことを立証されたい。
〔反証3〕 ガンダーラや敦煌などの仏教遺跡で、4本指の小鬼を踏んづけている石像や
      壁画が現存することを立証されたい。     01/02/22追加

 

 

 

 

 

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