1625イギリス王チャールズ1世(フランス王としてはシャルルCharles9世)はヴァージニア植民地を2分して南部を法務府総裁ヒースSir
Robert Heathに与えたが29ヒースは国王の名のラテン形カルロスCarulosからカロライナと命名、南部を中心にイギリス本国からの移民を送り込んだ70アシュリーAshley川沿いに最初の町が建設され86チャールズ・タウン(現在のチャールストン)に移動し潮の干満により河川が逆流するタイドウォーターTidewaterと呼ばれる低地部Low
Countryの沼沢地域の亜熱帯性気候を利用したコメ(米)の黒人奴隷による大農園を中心に発展、ヴァージニアからの移住者により開拓された北部が小農場中心だったのに対して大きな違いを見せていたことから90頃から南北に分けて表記されるようになり1729正式にノース・カロライナとサウス・カロライナに2分88.5/23第8州となり90州都をチャールストンからコロンビアに移動.
独立戦争では民兵が勇戦しイギリスの南部制圧を防いで独立に大きく寄与したが独立後は連邦政府と関税、奴隷制、州権を巡って対立1860最初に連邦を脱退61他の南部6州とアメリカ南部連合Confederate
States of Americaを結成し連邦軍の残留していたチャールストン近郊のサムター要塞を攻撃、南北戦争の口火を切った後同州南端近くのポート・ロイヤル海峡要塞で戦闘があった65敗戦時の困窮は凄まじかったが徐々に立直りWW2後は漠布線Fall
lineからブルー・リッジ山脈までのピードモント台地Piedmont
Plateauの高地部Up Countryの工業化が進んでいる.