これは初めて親と喧嘩してぶつかり合った時のことです。
親と本気で喧嘩したのはもしかしたらこれが初めてかもしれない。
でもできれば2度としたくない。
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・・いろんな揉め事が重なって、喧嘩になった私達。
「親からの愛情が足りてない」と他所の人間から言われたことがきっかけになった。
私は両親が好きだった。
だけど、その気持ちに対して「しっかりしているから」「弟が小さいから」とかであまり親に相手にされていなかった気がしていた。
でも、それをどうこう言う気もなかった。気のせいだと思いたかったのだろう。
「弟ばっかりかわいがって、私はどうでもいいのかもしれない」
そういう風に自分で勝手に思いたくなかったのだ。
母親が働きに出ていたので家事をそれなりに手伝っていた私が上京するとき、こう言われた。
「あんたが居なくなったら家のことしてる人居なくなるなぁ」
この言葉になんか傷ついた。
そして、現在。
「『親からの愛情が足りてない』と他所の人間から言われた」と言葉にだした。
これは今までの24年間、私が親に聞いてみたかった言葉だった。
「確かに足りなかったかもしれない、可哀想な子」
それが答えだった。
もうなにも言えなかった。
「あんたが家で料理したり、洗濯したりしたのは自分が好きだったからじゃないの?」
それももちろんあった。
だけど、私なりの親に対する「愛情」みたいなものでもあったのだ。
そういう行動が「打算的」に思われても仕方ないが、それが私の精一杯だったのだ。
たいそう立派な親ではなかった。
でも、私は両親が好きだったし、尊敬していた。
だからこそ喜んでもらいたかった。
そう思っていた親に言われた一言がとても痛かった。
「親からの愛情は無条件でもらえると思っているの?」
「それは思っていない」
そう、昔から思っていないのだ。
なぜだかわからないけど。
だから「打算的」な行動をとっていたのかもしれない。
「愛されていなかったんだ」
そう思った私は、ただ泣いた。
他の人からみれば「甘い」といわれるかもしれない。
でも、私は親に「愛されている」と信じていたかったのだ。
それから数日後。
FAXが届いた。
喧嘩のこと、自分の子供に対する気持ち、考え方などを書いていた。
読んで「そんなこと知らんわ!」と思うようなことも多々書いてあった。
まだ喧嘩を売るのか?と。
しかし、1つだけ引っかかった言葉。
「私はあなたに対して愛情は少なかったかもしれません、だけど1人の人間として生きていけるようには育てたつもりです」
これが心に引っかかったまま、4月29日の誕生日を迎えた。
たまに行くバーで夜を明かし、高田馬場と新宿を往復して帰ってきた私の家の電話に留守電がひとつ入っていた。
「お母さんです。
貴方は24年前の4月29日午後6時58分に産まれました」
私は引っかかっていた言葉がやっと理解できた。
「愛情が足りなかった」とは言われたが「愛していない」と言われたわけではなかったのだ。
はっきり解かる形ではなかったが、ちゃんとあったのだ。
その夜、電話をかけた。
そして無事仲直りした。
・・・今後喧嘩して何を言われても、きっと大丈夫だろう。
またこうやって解かりあおうとすればいいのだから。
お父さん、お母さん
私は2人の子供できっと良かったんだと思います。
これからもよろしく。
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