奇癖


3章・理


「大丈夫ですか?」 心配そうに見ている。 彼女は昨日、私の顔を見たはずだ。 気付いていない訳が無い。 なのに、何で笑顔で居られる・・・ 恐ろしいと思わないのだろうか? それとも・・ そうだ、父の時の様に私を罠にかけ、捕らえるつもりなのだ。 だから、私の前でも平然としていられるのだ。 そうに、違いない・・ 「・・される訳にはいかない・・・・っ」 「え・・?」 この場から、逃げなければいけない。 早くこの町から逃げなければ、 私は父や母と同じように、 殺されて・・しまう・・・ 「はぁ・・はぁ・・・」 息があがる。 もう、限界だ。 夜、理性を失っている時はなんとも無い距離が、 日の高い今の時間では途方も無く激しい運動だった。 死にたくは・・無い。 だが一方では、もういいんじゃないかとすら思っていた。 死にたかった。 夜な夜な、人の血をすする自分。 誰のモノとすら覚えていない血。 毎朝、それが現実なのだと思い知らされる、 そんな日々。 ・・・気が狂いそうだった。 いや、いっそ狂えたらどれだけ楽だろう。 それができないから、苦しかった。 それでもまだ望みがあると思っていた自分が、どこか可笑しかった。 「待ってください。」 逃げ回り、疲れ果て、動けなくなった。 もう駄目だ。 こんな時に、彼女に見つかってしまった。 這いずる事もできない。 体の到る所が悲鳴をあげていた。 「なんで、逃げるんですか?」 「捕まる訳にはいかない。死にたく・・無いからな・・」 そんな事を言いながら、どこか、もう死を覚悟していた。 「捕まる?誰にですか?」 不思議そうな顔をしていた。 本当に、何でそう言われたのか解らないような表情。 「・・・大方、町の連中が君を囮に、私を殺そうと罠を張っているのだろう?」 「まさか、そんな事する訳ないですよ。」 それこそ、まさかだ。 重症の人間に、何一つ苦しく無さそうな素振りで働かせる。 そんな事をさせる人間がいるだろうか。 「私は、まだ夕べの事は誰にも言っていませんから。」 彼女は、そう言って微笑んだ。 「リートさん。私は、誰にも何も言ってません。 だから、逃げなくても良いんです。」 あれから、何時間経っただろう。 日が、落ちかかっている。 「逃げなくても・・良い・・?」 そんな筈は、無かった。 少なくとも、彼女を傷つけてしまった。 今までは、誰のモノを啜ったのか覚えてすら居なかったが、 今度は彼女  を奪おうとした。 そういう、明確な記憶が残っていた。 だから、例え血を奪っていないとしても、 町に居てはいけなかった。 殺されるとか、そう言う事とは関係無しに、 もうこの町には居られなかった。 彼女だって、私の事を恐れている筈だ。 無理を、していた。 「何故・・誰にも言わなかったのだ?」 「リートさんは、私のお友達ですから。 何でお屋敷に忍び込んだのかは知りませんけど、 何もしてないじゃないですか? だったら、何も悪い事は無いですよ。」 屈託の無い笑顔で言う。 黙っている事が、辛かった。 だから・・・・全てを話した。 父の事。 私の奇癖の事。 夕べの奇行の理由。 どうして、私が逃げたのかを。 彼女は最後までずっと、黙って聞いていた。 理解してもらえるなんて期待はしていない。 ただなんとなく、安心できた。 「・・・そういう訳があったんですか・・」 目を瞑り、あさってを向きながら呟いた。 辛そうな、そんな顔。 「ふふふ・・聞いて、怖くなったろう? さぁ、解ったら町の連中に知らせなさい。私もいい加減、疲れた・・・」 言って、ばたり・・と倒れた。 そう、生き延びても同じ事を繰り返すだけ。 ならば、生に固執しても仕方が無い。 「・・・・・・」 背中に何かが当たった。 胸に手が回ってきた。 抱きしめられている・・というのだろうか。 「可哀相に・・・」 すん・・と鼻を鳴らす声が聞こえた。 何故だか、嬉しかった。 例えそれが同情でも、 私に少しでも感情を傾けてくれる人が居る。 それが、溜まらなく嬉しかった。 ・・・夜になった。 彼女は、私から離れずにいた。 何度危険だからと言っても、 大丈夫ですと言って聞かなかった。 私は昨日、彼女に手を上げてしまった事を悔やんでいた。 あの時は気絶させるだけで済んだ。 だが、今の彼女はあまりにも無警戒で、 襲い掛かればすぐに手に落ちてしまいそうだった。 「ぐっ・・」 ―――始まった。 全身の血が煮えたぎるような、そんな感覚。 血管の中を音を立てて切れてしまいそうな位に流れる血。 どくん、どくん・・ と、心臓は早鳴りし、 そこに存在しているのも辛い程に体はギシギシと咆哮をあげる。 「だ、大丈夫ですかっ!?」 もう、彼女の声など聞こえていない。 いや、聞こえているとしても、 それは今の私ではなく、どこかでそれを見ている私。 今の私は、ただの獣だった。 「あ・・ぐ・・うぁ・・・・」 ・・・彼女の首を締めていた。 なんでだろうか。 嫌がっていた、はずなのに・・ 何処か、安らいでいた。 何故か、満たされていた。 このまま、このまま彼女を手にかけて・・・ ジブンダケノモノニ――― 「ハァ・・・ハァ・・・」 息があがっていた。 彼女は、横たわっている。 気絶しているだけで、 死んでは、いない・・・ ふと、喉が渇いているのに気がついた。 だからいつもの様に、 自分の腕の動脈を切って、吹き出た赤い液体を飲んだ。 「・・・・はっ!?」 何を・・何をしているんだ・・・? 腕からは、血が流れている。 右手には、血がこびりついていた。 誰のモノでも無い、私自身の血。 自分の血を飲んでいた・・・? 「ふ・・ふふ・・・」 いや、全く、いつも通りだった。 恐らく、いつもそうやって、自分の喉を満たしていたのだろう。 やっと解った。 誰のモノと知れずに飲んでいた血は、自分の物だったのだ。 心底、ホッとした。 だが――― 彼女に手をかけてしまったのは、事実だった・・・・? 首を締めている時に感じた快楽。 あれは、そういう事をしたいという願望を、 実行に移しただけなのでは無いだろうか。 だとしたら、私は、なんという取り返しの付かない事を・・ 「ん・・・・」 目を覚ましたらしい。 頭が、ボーっとする。 「目を覚ましたようね。」 目の前にいるのは・・お勤めの先輩。 「あ・・あの・・リートさんは・・・?」 「え?」 目を白黒させている。 何か、あったのかな・・? 「貴方、あの人と会ったの?」 なにやら、怒った様な口調で聞いてくる。 この町の人は皆そう。 リートさんの事を嫌な目で見ている。 良い人なのに、 親がどうのこうので人柄を決めつけるなんて、酷い。 「リートさんなら昨日、町から出て行ったわよ。 なんか、病気の治療に行く・・とか言ってね。」 「え・・・?」 昨日・・・? そんな、はずは無い。 だって、昨日は、私はあの人のそばに・・ 「まぁ、貴方は3日間も昏睡してたから、 知らないのは当然だろうけど・・」 3日・・・間? なんで、そんなに寝てたんだろう。 「全く・・驚いたわよ。 町外れの草原で、貴方が倒れてるって聞いてさ・・ 賊等にでも襲われたのかと思ってたわ。 骨も何本か折れてたみたいだし・・」 「あ・・・」 そっか・・・ 痛いのに、無理をしたから・・ 体が、悲鳴をあげちゃったんだ・・ でも・・・・ あの人の痛みなんかより、ずっと大した事無いのに・・ 「ちょ、ちょっと、大丈夫っ?」 涙が、こぼれて止まらない。 多分、リートさんは戻ってこない。 ひょっとしたら、死ぬ気なのかもしれない。 結局、助けてあげられなくて・・ ・・・・無力だった。 (終)

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