ブルボンの末裔
スペイン国王のファン・カルロス1世は1975年、
フランコ総統の後継者として即位しました。1969年にフランコ総統はファン・カルロスを後継者に指名していました。王政復古です。祖父のアルフォンソ13世は
1931年退位し、その後ローマへ亡命しました。内戦の後に実権を握ったのがフランコ総統でした。
今回持ってきたイラストはアルフォンソ13世の王妃ヴィクトリア・ユージェニーです。現スペイン国王の
祖母に当たります。別館イラストギャラリーに彼女たち・・・ヴィクトリア女王の美貌の孫娘たちについての
ページがありますので、参考にしてみてください。彼女とアルフォンソ13世には現国王の父であるバルセロナ伯爵
の他に,アルフォンソとハイメという息子たちがいました。二人ともバルセロナ伯の兄です。長兄の皇太子アルフォンソは
貴賎結婚で王位継承権を放棄し、早くに亡くなりましたが、もう一人の兄ハイメも兄の跡を継いで数日間だけ皇太子の身分でありましたが、
同じ年の1933年に王位継承権を放棄しています。
1946年にアンジュー公となり、後になってスペイン王位の相続の権利を取り戻したようですが、
またもやこんどは1987年にスペイン政府にその権利を剥奪されたようです。年代からいうと子息のカディス公
アルフォンソの時代のことですね。父ハイメの死によってアンジュー公となったアルフォンソですが、フランコ総統の
孫娘マリア・デル・カルメンと結婚して一躍脚光をあびました。でも、彼女とは離婚しています。その間に生まれたのが
現当主ルイス・アルフォンソですが、彼には交通事故で亡くなった兄がいました。1984年のことでした。
その5年後、アンジュー公アルフォンソはスキー場での事故で亡くなりました。現当主ルイス・アルフォンソ15才の時でした。
ですから、現国王のファン・カルロスの伯父の家系になりますので、ブルボン家としてはこちらのほうが直系となります。
アングレーム公をルイ19世として、シャンボール公アンリでフランスのルイ14世の直系は絶えていますので
太陽王の孫アンジュー公フェリッぺの直系である現アンジュー公がフランスの王位継承者となるわけです。順番からいうとルイ20世ですね。
オルレアン家はルイ14世の弟フィリップが祖ですから傍系になります。オルレアン家のルイ・フィリップがフランス王と
なりましたが、納得しない人もいたでしよう・・・。しかし、現アンジュー公ですが、祖父も父も離婚しています。祖父のハイメですが、アストゥリアス公で、
(アストゥリアス公とは皇太子と同じで現皇太子フェリペもアストゥリアス公というらしい)
なぜ王位継承権を放棄したのかわかりません。 ブルボン家についてちょっとお話をしましょう。
ブルボン王家はアンリ4世が創始者となり、太陽王ルイ14世の時代最も繁栄し、フランス
革命やナポレオンによって一時中断しましたがルイ18世が即位し、シャルル10世が王様としては最後の直系になるのでしようか。
子息のアングレーム公とベリー公の息子のシャンボール公の断絶したあとは、遡ってルイ14世の孫アンジュー公であった
スペイン王フェリッぺ5世まで戻ります。ブルボン公も兼ねている現アンジュー公はその直系となります。本来なら血統からみて、
アンジュー公がスペイン王になってもおかしくないのですが、何か事情があるのでしょう・・・。
話は戻りますが、アンリ4世の父はアントワーヌ・ド・ブルボンです。彼はフランス国王フランソワ1世の姉マルグリット・ド・ナヴァールとアンリ・ダルブレとの娘
ジャンヌ・ダルブレと結婚し、アンリ4世が生まれます。そのアントワーヌ・ド・ブルボンにはルイという弟がいました。この人物が名門コンデ家のルイ1世です。
17世紀の大コンデ公は初代の曾孫になりますが、この大コンデ公ルイ2世の弟がコンチ公アルマンでコンデ家から枝分かれしていった名門コンチ家の創始者となります。
もともと初代コンデ公にはコンチ公フランソワという息子がいました。アンリ・ド・ギーズの娘ルイーズ・マルグリットと結婚しましたが、子供がいなくて断絶しました。
コンデ公をブルボン公とも言いましたが、そのコンデ家の直系は19世紀にアンギャン公が処刑されて断絶しました。コンチ家も同様に19世紀には断絶しています。
このようにフランス系ブルボン家の直系はオルレアン家を除いて絶えてしまいました。ずーとずーとたどって行けば同族にモンパンシェ家や
カスチリア王ペドロ1世と結婚したブルボン公女ブランシュの家系や
ルイーズ・ド・サヴォアの求愛を跳ねつけたブルボンのシャルル大元帥など気になる人物もいましたが、いずれも断絶しています。
でも、ブルボン家にはたくさんの庶子たちがいました。その子孫たちが数多く現代まで続いているのでしょう。
スペインブルボン系は、両シチリア王国やパルマ公国などもその系列です。
追記・王位継承権を放棄したハイメですが
何故王位継承権を放棄したのか疑問です。彼は耳が不自由で口が聞けなかったそうですが、その後また権利を取り戻しているところをみてもスペイン王位は魅力的だったのでしょうか・・・。
カルリスタ戦争・・・時代は少し遡って、フェルナンド七世の後即位したイサベル2世に対抗してフェルナンド七世の弟ドン・カルロスが
サリカ法を持ち出して女王の即位を認めませんでした。結局イサベル2世の次の王位をめぐっても
混乱があったようです。イタリアからアメデオ一世が即位しましたが、反対勢力もありました。今度は,ドン・カルロスの孫が
ドン・カルロス3世として王位を要求しましたが、スペイン政府はイサベル2世の
息子であるアルフォンソ12世を支持しました。スペイン王室にもいろいろなトラブルがあったのですね。
追記2・エナには4人の息子がいましたが、長男は早くに亡くなり、四男は血友病、次男のハイメは聾唖者でした。よって、たったひとりの健康体であったバルセロナ伯に王位継承権が巡っていった感があります。
まあ、そこにはいろいろな事情があったようですが・・・。
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